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海賊の島(Frégate Island 2011、その6、ANSE BAMBOUS、ANSE MACQUEREAUとGRAND ANSE)

Ance Bambous

Frégate Houseは、メイン・レストラン、小さなブティック、それに図書館がある建物で、急勾配の階段を下りていくと、途中に2つのプールがあり、更に下りるとANSE BAMBOUSのビーチがあります。冒頭の写真のANSE BAMBOUSには、ビーチにバー・カウンターがありビーチ・ベットが並んでおり、普通のリゾート的な趣です。子供達は早速、ブギーボードを借りて波乗りを始めました。のどが渇くとこの島で取れた新鮮なフルーツを絞ったジュースが飲めます。勿論、このビーチも貸切状態でした。

ところで、Frégate Islandには、貸切「状態」ではなく、完全なプライベートを保てるビーチもあります。下の写真は、ANSE MACQUEREAUで、ビーチに通じる入り口にあるボードを裏返しにして「Do Not Disturb」のサインを掲げて置くことが出来ます。ただし、このビーチに通じる小道は大変な急勾配で、降りるのはいいのですが、戻るのが大変そうなので今回は訪れませんでした。写真はチャーター・ボートからの眺めです。断崖の上に点在するのが客室Villaです。Villaは後で詳しく紹介しますが、ベットルーム、リビングルーム、ダイニングルーム、そして、各Villaのプールの横にある(本を読むのに最適な)東屋、更に、海を眺めながらお茶を飲むのに最適な、眺めの良い別の東屋から構成されますので、一つのVillaは4つほどの藁葺きの屋根から構成されます。

Anse Macquereau

さて、次のビーチはGRAND ANSEです。GRAND ANSEは、美しい夕陽で有名なそうですので、バトラーにビーチ・ディナーをお願いして、セイシェルの夕陽を眺めた後に、GRAND ANSEのビーチで夕食を戴きました。

Grand Anse Sunset

セイシェルの夕陽というと、松本隆さんが作詞をされ、1983年頃にヒット(?)した曲を思い出しますが、松本さんはセイシェルを訪れたことがあるのでしょうか?見事な臨場感のある歌詞に今更ながら脱帽してしまいます。学生時代にこの曲が入ったレコード(レコードからCDに移る過渡期でしたね)を買った記憶があります。

Grand Anse Beach Dinner

因みにGRAND ANSEは、海ガメの産卵地でもあり、更に海賊時代の遺跡もあるそうです。18世紀頃の幅広ナイフとか、キャノン砲の弾丸とかが発見されているそうですので、次回はじっくりと探求したいと思います。

ごく普通の観光旅行記になりつつありますが、更にこの島の記事を続けます。

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海賊の島(Frégate Island 2011、その5、ANSE VICTORIN)

Anse Victorin (4)

上の写真はAnse Victorinで、フリゲート島で尤も美しいビーチと評されています。 もっともFrégate Islandだけではなく、世界中で一番美しいビーチの一つとして、ビーチ・コンテストの上位入賞(?)の常連だそうです。ということで、ここを訪れた時の最初の印象は「写真の通りだな」というものでした。情報過多の世の中の弊害ですね。

Anse Victorin Cart Parking

Anse Victorinに辿り着く為には、断崖の上に電動カート(島の移動用に各ビラに電動カートが配置されます)を停めて、一部階段になっている坂道を海岸まで下りる必要があります。丁度、カートの駐車場付近の景色を撮影した上の写真を見ると、断崖の高さが実感できると思います。そして下の写真の小道を下っていくと、息を呑むような見事なビーチが広がっているのでした。

Path to Anse Victorin

Anse Victorinは、思ったより小さなビーチでした。下の写真は、シュノーケリングの為にリゾートでチャーターしたボートから見たAnse Victorinです。鬱蒼と茂る椰子の木に囲まれたこじんまりとしたビーチです。

Anse Victorin from the sea

このリゾートでは、殆ど他の宿泊客に会わないことを前の記事で書きましたがビーチも同じ状態です。Anse Victorinには、約1週間の滞在中に2回訪れましたが、僕の家族以外は誰もいませんでした。全く足跡の無いビーチを独り占めする快感は堪りません。無論、この断崖絶壁の下にあるビーチの入り口には、氷で満たされたアイスボックスがあり、この島で産出するミネラル・ウォーターの壜とタオルが置かれていますので、定期的にリゾートの職員が訪れのでしょう。ビーチベットは、この自然の美の中にあるAnse Victorinには似合いません。サラサラのパウダーサンドの上に寝転がり、目を閉じて波の音を聞いていると、文字通り地上の楽園であることが実感できました。

Anse Victorin (2) Pirate

ところが、目を開けるといつの間にかビーチの先に大型のカタラマン・ヨットが停泊しているのが視界に入りました。そして、カタマラン艇からシュノーケリングの道具を付けた男女が海に飛び込みました。

良く見ると、そのカタマラン艇には南アフリカの国旗が掲げてあります。多分、このヨットの目的地はAnse Victorinだったのでしょう。ところが、ビーチに人(僕達の家族)がいるのでAnse Victorinから少し離れて停泊し、スノーケリングで上陸を企てているようでした。

確かに現代に於いても、このような小さなプライベート・アイランドは無防備ですね。Coast Guard(沿岸警備隊)が巡廻している訳でもありませんし、(違法に?)上陸しようとしたら誰でも出来そうです。無論、アフリカ大陸から1,300kmも離れているので、現代のソマリアの海賊は流石に来ないのでしょうが。

Anse Victorin (3) Pirate Ship and Fregate Boat

どうやって判ったのか、Frégate Islandの小さなボート(正にJolly Boatの名前に相応しい小さな雑用艇ですが、警備艇を兼ねているのでしょう)が大型カタマラン艇に近づき警告を発し始めました。そして、ボートがカタマラン艇に横付けして、この島の関係者が乗り込みました。

ちょっとドキドキする光景でしたが、カラタマン艇が砲撃してボートを撃沈することもなく(?)、カタマラン艇の船上で戦闘が行われることもなく(?)、カタマラン艇は大人しくFrégate Islandボートの誘導に従い去っていきました。

この顛末を僕達のバトラーに話したら、このような「ビーチ・ハンター」は良く現れるので、島の周囲を定期的に巡視しているそうです。

Anse Victorinだけで、一つの記事になってしまいました。次もFrégate Islandのビーチの紹介を続けたいと思います。

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海賊の島(Frégate Island 2011、その4、ANSE PARC-海賊の棲家)

Anse Parc (4) Palm Trees

ある朝の早朝、家族が起き出す前にそっとVillaを抜け出して、海賊の伝説が残るANSE PARCを訪れてみました。

Frégate Islandは、ドイツ人の実業家Dr.Otto Happelが所有するプライベート・アイランドです。つまりこの島全体がリゾートになっている訳ですが、ビラ(Villa)が16棟あるだけですので(年に数日来訪するらしいDr.Ottoが泊まるPresidental Villaを加えると正確には17棟ですが)、他の宿泊客に会うことは殆どありません。

ということで、ANSE PARCに通じる平地にも人の気配は全くありません。聞こえるのは、椰子の木の葉がサラサラと風に揺られる音、海岸に向かう平地に多く生息しているAldabra Giant tortoises(アルダブラ・ゾウガメ)が警告を発する音(シー、シーと聞こえます)、草むらがガサガサするのはトカゲが逃げる音でしょうか。そして、時折、小さく「ドン」となにかが地面に落ちる音が聞こえます。冒頭の写真を取っているときに、熟れた椰子の実が足元に落ちてきて、この音の謎が解けました。

Baby Palm Trees

上の写真の様に、殆ど人の手が加えられていないこの島では、椰子の木の下に熟した実が大量に落ちており、その中から発芽しているものもありました。

Anse Parc (5) Tartles at Pirate Rock

海賊の隠れ家だった時代には、湧き水で満たされていたのかもしれませんが、今は水溜りとなっている場所にアルダブラ・ゾウガメが集まっていました。この水飲み場付近に、崩れかけた石垣があります。若しかしたら、石を積み上げた海賊達の住居の跡かもしれません。リゾートの極簡単な地図には、「Pirates Rock」としか記載されていませんので想像するしかありませんが。勿論、付近には小道も無いので、倒木を避けつつ足元に注意しながら近づきます。

Anse Parc (2) Pirate Rock

この辺りまで来ると、ANSE PARCの波音は聞こえません。周囲一帯に霊気のようなものが漂っています。何かに見つめられている気がして視線を移すと、頭蓋骨のようなものが目に入りました。良く見ると写真の左下に写っているように崩れた石垣の一部でしたが、これを見た時、様々な海賊の伝説が頭を駆け巡り身震いをしました。

廻りを飛び回る鳥も音を発せず、まるで無声映画のような情景でした。

Anse Parc (3) Bird

こう書いていると、なにか秘境ツアーのような感じですが、次からはこのユニークなリゾート・ホテルについて幾つかの記事を書いてみたいと思います。

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海賊の島(Frégate Island 2011、その3、Olivier Levasseurの伝説【後編】)

Anse Parc (7) Beach View

さて、ポルトガルのガリオン船Nossa Senhora do Caboの財宝はどうなったのでしょうか?

海賊ルヴァスールは、Nossa Senhora do Caboの財宝をJohn Taylorと山分けした時に、大量の金貨、ダイヤモンドと共にゴアの十字架を手に入れたと伝えられています。十分儲けた海賊稼業からの引退を考えたのか、1724年に当時のブルボン島(現在のRéunion島)にいるフランスの総督に使者を送り、「インド洋の全ての海賊行為を止めることを条件とした恩赦の要請」を行いました。ところが、フランスの総督は、略奪された財宝の返却を求めたことから、ルヴァスールは恩赦を得ることを諦め、セイシェル諸島に隠れ住むようになりました。

因みにこの絶海の孤島群にセイシェルの名前が付けられたのは1754年になってからです。当時のルイ15世の宰相Viscount Jean Moreau de Séchellesの名前から命名されたそうですので、ルヴァスールの時代には違う名前で呼ばれていた筈です。正確にいうと、フランス政府は1754年に現在のマヘ島をセイシェル島と命名しフランス領として正式に編入しています。その後、セイシェルの名前は群島全体を指すことになったそうですが。

冒頭の写真は、Frégate IslandのAnse Parcで撮影した写真です。Frégate Islandには、主に7箇所のビーチがありますが、尤も荒々しい印象を持つこの入り江は17~18世紀の海賊の格好の隠れ家であったとされています。実際に、Anse Parcから他の島は見えないことからも絶好の投錨地だったそうです。下の写真は、Frégate Islandのヘリコプター発着場所付近に置いてある大砲です。島の近くの海から引き揚げられたそうです。ちゃんと砲座に置かれていないのは残念ですが、レプリカではなく帆船に搭載されていたと思われる本物の大砲ですので雰囲気満点です。

Canon.jpg

ルヴァスールのセイシェルでの隠居生活は1730年に終わりを告げます。マダガスカル島のFort Dauphin(現在の名前は、Tôlanaro)で捕らえられ、1730年7月7日にレユニオン島のSaint-Denisで海賊行為の罪により絞首刑に処されてしまいました。

さて、これからが宝島伝説です。

伝説によると、ルヴァスールは死刑台から「これを解読できるものが財宝を手に入れる」と叫びつつ、17行から構成される暗号文を観衆に投げ入れたそうです。

ところで、Frégate Islandはルヴァスールが隠したゴアの十字架が埋められている可能性のある7つの島の内の1箇所だそうです。ゴアの十字架は高さが3mもある純金製で、現代の価値に直すと2億ポンド(約250億円)にもなるそうですが、今の金相場からもっと価値が高まっているかもしれません。尤もゴアの十字架の大きさにも諸説はあるそうですが。

それでは次の記事では、Anse Parcの印象について詳しく書いてみたいと思います。

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海賊の島(Frégate Island 2011、その2、Olivier Levasseurの伝説【前編】)

Museum (Model Ship)

Frégate IslandのVillaのターンダウンサービスの際、ベットサイドにチョコレートと共に短冊サイズの紙に印刷された短文が置かれます。その日の読み物は、「Olivier Levasseur(オリヴィエ・ルヴァスール)の財宝」でした。

冒頭の写真は、Frégate Islandの小さな博物館の展示品である帆船模型です。フランスのJEAN BOUDRIOT著のルカン (1750年)の図面を元に製作されたと思われる、地中海のジーベックの帆船模型ですので、1700年代の初めのインド洋の海賊船とは違う船型でしょうか、なかなかの雰囲気があります。

17~18世紀の海賊というと反射的にカリブ海を想像しますが、カリブの海賊の拠点であった悪名高きジャマイカのPort Royal(ポート・ロイヤル)が1692年6月2日の大地震により壊滅したころから衰退し、1718年11月22日に、通称黒ひげとして恐れられたエドワード・ティーチ(Edward Teach)が英国海軍に追い詰められ殺害されたところで、カリブの海賊の全盛期は終わりを告げました。

ちなみに、黒ひげの旗艦であった「クイーン・アンズ・リベンジ(Queen Anne's Revenge)」 の残骸が1996年にノースカロライナ州のBeaufortで発見され、今も発掘調査作業が進んでいます。今年の6月の錨が引き揚げられたニュースは記憶に新しいとおもいます。

下の写真はこれも、Frégate Islandの私設博物館に展示してあった色々な時代の「ピース・オブ・エイト(8リアル銀貨)」です。八銀貨の響きは宝島、そしてツバメ号とアマゾン号のフリント船長のオウムを彷彿させます。

Museum (Piece of eight)

さて話をオリヴィエ・ルヴァスールに戻します。ルヴァスールは1688年頃にフランスのカレー(Calais)の裕福な家庭に生まれました。フランス海軍の士官としてキャリアを積んだ後、スペイン継承戦争(The War of the Spanish Succession)の頃、太陽王(Roi-Soleil)と称せられたルイ14世から、敵国船拿捕免許(Letter of Marque)を得て、私掠船を率いてカリブ戦線に参加したのでした。ところが、ルヴァスールは、スペイン継承戦争の講和の後にフランスには帰還せず、なんと英国出身の海賊ベンジャミン・ホーニゴールド(Benjamin Hornigold)の傘下に入り、本当の海賊になったのでした。

実はルヴァスールと黒ひげは、1717年頃迄、共にベンジャミン・ホーニゴールドの下にいたそうです。さて、黒ひげは上記した通り、1718年に最期を迎えるのですが、ルヴァスールは拠点をインド洋に移し、1730年まで各国の東インド会社の財宝船を狙う海賊稼業を続けます。

ルヴァスールはインド洋でマダガスカル島付近のセント・マリー島(Île Sainte-Marie)を拠点にし、英国出身の海賊John Taylorとアイルランド出身の海賊Edward Englandと組んでいました。因みにこの3人が共同でLaccadive Islands(ラクシャディープ諸島)を略奪した際の戦利金の分配を巡って、或いは別の説によると、英国東インド会社の貿易船カサンドラ(Casandra)を襲った際の、James Macrae船長の処遇を巡り対立し、Edward Englandは、モーリシャス島に置き去りの刑を科せられ1720年頃に死亡したそうです。

話が横道に逸れますが、James Macrae船長は勇敢に海賊船と戦い、一旦撤退した後に、正装をして海賊の元に現れ、積荷の弁償を申し出た強者です。その後、Macrae船長は海賊達が残し破船同様となったEdward England船長の乗船Fancyを修理してボンベイに辿り着き、その功労を称えられマドラスの総督に上り詰めたそうです。

Museum (チェスト)

上の写真は、Frégate Islandの私設博物館に置いてあった説明もなく時代も不明なチェストです。この博物館の記事は追って書きたいと思いますが、色々な物が説明無しに展示してあり、想像を膨らませるのは最高の場所でした。

ルヴァスールの絶頂期は1721年に訪れます。

ルヴァスールはジョン・テイラーと共に、レユニオン島近くで航行不能になっていたポルトガルのガリオン船Nossa Senhora do Cabo(英訳すると、Our Lady of the Capeとなるそうです)を捕獲しました。Nossa Senhora do Caboは72門搭載船でしたが、嵐の中で沈没を免れる為に全ての大砲を海に捨てており、いとも簡単に海賊達に捕獲されてしまいました。

Nossa Senhora do Caboは、ゴアのサンタ・カタリーナ大聖堂の聖物であった純金にダイヤモンド、ルビー、エメラルドが散りばめられたゴアの十字架(Cross of Goa)を含む膨大な財宝をポルトガルに輸送する途上でした。

長くなりましたので、ルヴァスールの伝説は次の記事に続けます。

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