USS Constitution 1797(その5、コンスティテューション再訪)

USS Constitution 2009 (2) 全景

2008年7月に続いて2009年7月にもUSSコンスティテューションを訪れました。ホテルから歩ける距離ですが、突然雨が降ってきてしまいました。

冒頭の写真が、2009年7月のコンスティテューションの姿です。各マストともロワーマストだけの姿で、メインマストはシュラウドもトップも取り外されていました。スパーデッキは殆ど仮設の屋根で覆われているので、雨天でも見学は問題がありませんが、メインマストは、シュラウドもトップ(檣楼)も外されていました。

USS Constitution 2009 クオーターデッキから後方

上の写真は、スパーデッキから艦尾を撮影したところです。左に見えるのがミズンマストです。張り替えられたばかりにデッキ材が雨に濡れて美しい色です。帆船模型で、デッキ材は(潮風で退色したチークのような)白系色に拘る人もいるそうですが、今まで見てきた帆船を見るとデッキ材が塗装されていたり、濃い色の木材であったりと色々なパターンがあると思います。もっというと、総チーク張りのデッキにお目に掛かることは少なく、模型製作のデッキの色は好みの問題だと思います。因みにデッキ張りのパターンは、定石通りの3バットでも4バット(3,4 Butt Deck Planking)でもないので、唸ってしまいます。

USS Constitution 2009 艦正面

コンスティテューションは、毎年7月4日の独立記念日にTurn-aroundと称してCharlestown Navy Yardからボストン湾に引き出され、Castle Istalndの要塞に向け、21発の礼砲を発射するそうですが、このTurn-aroundの度に、停泊の向きを変えます。2008年7月から1年間は、艦尾係留でしたが、2009年7月から艦首係留となっていましたので、コンスティテューションの艦首をじっくりと観察することが出来ました。

USS Constitution 2009 艦舷

上の写真は左舷の24ポンド長砲の砲列です。何度見ても見事な光景です。

この世界最古の現役フリゲート艦については、2008年に訪れた時も幾つかの記事を書いておりますので、今回はもう少し詳細な写真を紹介していきたいと思います。

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USS Constitution 1797 (その4、船首構造について)

USS Constitution Stem 2

現在のコンスティテューションの船首部分は、美しさより、力強さを感じるデザインです。この船首部分の構造、デザインも過去210年の間に何度も変更され、色々な逸話が残っています。

1797年の建造当時は、ヘラクレス(Hercules)像のフィギュアヘッド(船首像)だったそうです。ところがコンスティテューション号は、地中海で1804年9月12日に僚艦の44門搭載のフリゲート艦プレジデント号(USS President)と接触事故を起こし、ジブブームと共に船首像も修復不能なほど破損してしまいました。マルタ島での補修の際に、代わりの船首像は取り付けられず、「Billet Head」と呼ばれるデザイン(現在と似ているがシンプルなデザインだったらしい)に変更されました。

1812年にHMSゲリエールとHMSジャバとの遭遇戦を連続して制したときのBillet Headのデザインは下の左の絵の通りであったようです。ちょっと判りずらいですが、渦巻き状の装飾がなく、トレイルボードの先端が2分割されているデザインです。

Constitution Billet Head 1812    USS Constitution FH OH No.1      USS Constitution FH OH No.2

その後、1834年に当時のボストン海軍工廠の長官(Commander of the Boston Navy Yard)であった、エリオット艦長(Captain Jesse Duncan Elliot)が、個人的に崇拝する当時のジャクソン大統領(Andrew Jackson、愛称オールド・ヒッコリー、任期:1829年~1837、第2次英米戦争の英雄ですが、同時に「インディアン移住法」を制定した人種差別主義者で有名ですね。彼は南部州の利益を代表する存在でした)の等身大の船首像を発注して取り付ける事案が発生しました。ジャクソン大統領の船首像を取り付けることが、(当時からリベラルな)ボストン市民の反感を買うのは明らかですね。そもそも上記(中央)のように品がない(失礼)彫刻であったからなおさらです。

余談ですが、エリオット艦長はオーブリー・シリーズの第6巻「Fortune of the war」でも語られる1807年6月22日に発生したレパード号事件に脇役として関与しています。当時チェサピーク号(USS Chesapeake)にはバロン艦長(James Barron)の下でMr.Elliotも乗艦していました。Mr.Ellottは、1810年4月に海尉(Lieutenant)に昇格していますので、当時は士官候補生だったのかもしれません。因みにバロン艦長は、後日軍法会議で「レパード号との遭遇時に戦闘の準備を怠った罪」により5年間の無給判決を受けています。バロン艦長はこの軍法会議で評議官務めた、バーバリ戦争の勇者、ディケーター艦長(Stephen Decatur)に怨みを持ち続け1820年に決闘を申し込みました。ピストルによる決闘の末ディケーター艦長は瀕死の重傷を負い数日後に死亡しています。この決闘の際に、バロン艦長の介添人を務めたのがエリオット艦長でした。

エリオット海尉(当時)は、1813年のエリー湖の戦い(Battle of Lake Erie)に参戦したことが尤も有名ですが、乗艦のブリッグ・ナイアガラ号(USS Niagara)は、9月10日の戦闘の重要な局面で旗艦のローレンス号( USS Lawrence、オリヴァー・ハザード・ペリー提督)に遅れを取り、ローレンス号がイギリス側に徹底的に叩かれることとなりました。この戦闘は結果的にアメリカ側の大勝利で終わりましたが、エリオット海尉の行動が後日議論の的になりました。エリオット海尉は1818年に艦長(Captain)に昇格しています。これも余談ですが、ナイアガラ号は、1820年に沈船となりましたが1913年に引き揚げられ船体の一部を使い再建されています(http://www.eriemaritimemuseum.org/flagship_niagara/)。

話しをコンスティテューションに戻します。1834年3月21日に取り付けられたジャクソン大統領の船首像は、ボストンの商船の船長であったSamuel Worthington Deweyが同年7月2日に船首像の頭を切り取る事件が発生。現代では不法侵入と器物破損罪ですが、当時は「英雄的行為」として大変にもて囃されたそうです。その後、今度はちゃんとした彫刻家によるジャクソン大統領の船首像が取り付けられ(上の写真の右端)、1871年~76年の大改修迄使用されたそうです。

USS Constitution False Rail

船首部分で力強い印象を与えているのがFalse Rail(どう訳していいのか判りません。ヘッドレールの上部を覆っているカバー)だと思いますが、これは1804年のマルタ島での補修の際に取り付けられたと記録されています。僕はこのカバーの有無で優雅に感じるか否かが分かれるのではと考えています。HMS Roseのレプリカを改造したサープライズ号(HMS Surprise)のレプリカの船首構造と比較すると判り易いと思います(因みにこの写真は僕が撮影したものではありません。WEBの画像検索から)。サープライズ号のクラシカルな船首部分のデザインは美しいですね。

HMS Surprise Head Rail

2008年夏にコンスティテューションを訪問した時に撮影した写真は数多くありますが、キリがないのでこの辺でひとまず記事を止めようと思います。

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USS Constitution 1797(その3、スターン・ギャラリーとクォーター・ギャラリーの考察)

USS Constitution Stern

現在のコンスティテューションの艦尾(Stern Gallery)は上の写真の通りのデザインですが、これは1870年頃からの姿だと云われています。1797年の建造当時、更に1812年の第2次英米戦争時は、5~6枚の硝子窓が並ぶオーソドックスなデザインだったそうです。

下の絵(抜粋)は、左が1812年8月19日のHMSゲリエール(Guerriere)との遭遇戦、右が1812年12月29日のHMSジャバ(Java)との遭遇戦(この時はオーブリー艦長がHMSジャバの艦上にいましたね)の場面ですが、これを見ると、ゲリエールとの戦闘の絵は5つ窓の艦尾、ジャバとの戦闘の絵は7つ窓の艦尾となっています。

Guerriereとの戦闘の油絵は、イタリア系アメリカ人画家Michele Felice Corne (1752~1845)、Javaとの戦闘の水彩画はフランス人の画家Montardier(1812~1848)が後日描いたものです。そもそも、当時は実船をしっかり観察してデッサンすることは(特に常に外洋にいる軍艦では)難しく、従軍画家でも無い限りはかなり想像により描いていたのでしょう。ただし、Michele Felice Corneは、マルタ島出身(エルベ島生まれとの説もある)のイタリア人で1800年頃にセーラム(Salem)に移住し海洋、風景画家として活動していたみたいですし、下に引用したコンスティテューションとゲリエールとの遭遇戦の絵画は、1810年6月~1812年9月までコンスティテューションの艦長であったIssac Hullが発注したものですので、艦尾を含めた詳細、戦闘時の様子も(Issac Hull艦長がチェックしつつ)正確に再現しているのではと思います。絵画から見た海洋史も面白そうな研究課題ですね。

USS_Constitution_vs_Guerriere Starn View USS Constitution vs HMS Java 1812 Watercolor Starn View

現在のクォーター・ギャラリー(Quarter Gallery)もやはり1870年頃の姿らしいです。1797年の建造当時は、もっと窓の傾斜が強く、装飾性が高く彫刻で飾られていたそうです。ギャラリーの内側はこんな感じです。昔は艦長用のSeat of Ease(トイレ)が置かれていたらしいですが、こんな雰囲気であれば、航海中ここに座って海を眺めながら本を読むのもいいかな、と有り得ない想像をしてしまいました。

USS Constitution Gallery USS Constitution Inside Galley

ところが、艦長室は下の通りの状態で全く駄目ですね。良く海洋小説で「船体の幅を一杯につかった明るい艦長室」との表現がされておりますが、コンスティチューションの艦長執務室は、両端の隔壁により、窓3つ分の幅しかなく、その窓も、鎧戸に開けられた小さな丸い明り取りから光が入るだけで薄暗く(鎧戸は砲門と同じように上下に開くみたいですが)、快適とは云えない部屋でした。執務室とギャラリーの間の両端2箇所にベットスペースがあります。結構しっかりと睡眠が取れそうな雰囲気ですが、フリゲート艦の寝室、とのイメージとはちょっと違いました。因みにベットスペースの後部に換気口(?)がありますが、これは冒頭の艦尾の写真で、両端に小さい丸い穴が開いているところです。

USS Constitution Inside Stern USS Constitution Inside Stern Bed

ところで、色々な模型メーカーがコンスティテューションの木製帆船模型キットを販売しておりますが、この艦尾構造がモデルにより異なり面白いので列記してみます(キットは順次改良されているので変更されている可能性もありますが)。現在の形に忠実なのはModel Shipway社のキット(http://www.modelexpo-online.com/product.asp?ITEMNO=MS2040)。Mamoli社のキットも現在の艦尾に似た形状です。

1)Model Shipways :1927年のアメリカ海軍の図面を参照。現在と同じ形の艦尾。
2)Blue Jacket   :1812年当時の艦尾を参照としていると思われる構造(6つ窓)
3)マモリ(Mamoli) :現在と同じ形の艦尾。2000-2001年版のカタログの写真を参照。
4)マンチュア   :クラシカルな6つ窓の艦尾

実物が残っていると模型作りも神経を遣いますね。イタリアにキットには特にかなりのデフォルメがあるような感じがしてしまいます。それから考えると、(白いバスウッドを中心とした)素材はともかく、Model Shipways社のキットは自らの宣伝で「Most Accurate USS Constitution Kit Ever Produced」(史上もっとも正確なConstitutionのキット)と謳っているだけあります。今まで知っていたイタリアのキットと比較にならない程のレベルの内容です。ただ、ガン・デッキの24ポンド砲がダミー構造(つまり砲身を船体構造に差し込むタイプ)なのは全く頂けないので大掛かりな修正(ガン・デッキの追加作成)が必要です。完成時の全長が48インチ(1,220cm)と比較的大きい模型ですが、それでも縮尺は1/76.8なので決して製作は容易ではないと思います。

話しが前後しますが、以前の記事(http://corniche.blog65.fc2.com/blog-entry-9.html)で書いた通り、コンスティテューションを訪れた数日後、Piel Craftsmen(http://www.pielcraftsmen.com/)でこのModel Shipwaysのキットをじっくり検分させて貰い、魅せられてついつい買ってしまいました。

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USS Constitution 1797(その2、俺を踏んづけるな)

Dont tread on me

コンスティテューションに掲揚されている、アメリカ大陸海軍(Continental Navy)の海軍旗(First Naval Jack)です。ガラガラ蛇(Rattlesnake)にDon't Tread on Me(俺を踏んづけるな)の図柄は、当時のアメリカの立場を象徴していますね。

ところが、実際にはこの図柄が独立戦争当時に使用されたか否かは議論が分かれるらしいのです。ガラガラ蛇とDon't Tread on Meを省いた13本の赤白のストライプの旗は使用されていたとの確たる記録はあるそうですが。

穏やかではないのは、2002年5月31日に当時の合衆国海軍のGordon England長官(United States Secretary of the Navy)が「テロとの戦争の期間は、この大陸海軍の海軍旗をアメリカ海軍の艦艇に掲揚すること」を提案。多くのアメリカ海軍の艦艇がアメリカ同時多発テロ発生から1年後の2002年9月11日からこれを実施したとのことで、生々しい現実に引き戻されてしまいます。ただし、コンスティテューションの艦上では、テロとの戦争とは関係なく以前からこのFirst Naval Jackが掲揚されているそうです。

さて、次はコンスティテューションの艦上を観察していきたいと思います。先ずはガン・デッキに並ぶ24ポンド砲。片舷に15門の砲門が並びます。つまり24ポンド砲が両舷合わせ30門。パウダーモンキーが運ぶ皮製の火薬筒のケースも展示してあります。テークル(Gun Tackle)、ブリーチング(Breeching)各ロープの取廻しは、模型作りからも興味深いです。

USS Constitution Gun Deck

次はスパー・デッキ(Spar Deck)です。修復中であり本来あるべき32ポンドのカロネード砲の砲列がありませんので特に広く感じます。カロネード砲は見たかったのですが、残念乍ら船上にも船外にも置いてありませんでした。ビレイピン・レールからビレイピンも外されていて残念。

USS Constitution Q-deck

下はガン・デッキの空の砲門の拡大写真です。これがOld Ironsidesの由来でしょう。他の帆走軍艦とちゃんと比較した訳ではありませんが、見るからに分厚い艦舷です。ガンポートの厚みは目測で50cm以上ありました。もちろん、1812年8月19日のノバスコシア沖の英国海軍のゲリエール(HMS Guerriere)との遭遇戦で、ゲリエールから放たれた18ポンドの砲弾(或いは32ポンドのカロネード砲の砲弾かもしれませんが)を跳ね返したのは、船体で尤も分厚いウエール(Wales)部分だったのでしょう。でも、この砲門を覗いて史実に納得してしまいました。

USS Constitution Gun Port

まだコンスティチューションの記事は続きます。

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USS Constitution 1797(その1、建造時の状況について)

USS Constitution July 2008

上の写真は2008年夏にボストンを訪れたときのコンスティテューション号(USS Constitution)の姿です。帆走も出来る状態で文字通り現役艦として保存されていますが、1797年10月21日の進水からちょうど210年目にあたる2007年10月より約3年間の修復工事に入っていました。

長いこと漠然とコンスティテューションを訪れたいと思っていましたので、対面したとき20年ほど前にポーツマスでヴィクトリー号(HMS Victory)を見上げた時と同じような感激を味わいました。ただし、ポーツマスではヴィクトリー号のボリューム(大きさというか存在感)に圧倒されたのに対して、コンスティテューション号を見たときの最初の印象は、何度も重ね塗ったと思われる黒光りする艦舷(外板)からか、あるいはトップマストを外した修復中の姿からか、「よく210年もの長い時間を凌いできたな」というものでした。

余りに多く語られている船なので、今更とは思いますが、建造の経緯についておさらいして置きます。

(1)1794年のNaval Act(海軍条例)で建造が承認された6隻のフリゲート艦の内の1隻。フリゲート艦の建造目的は(特に当時、地中海でバーバリー海賊に苦しめられていた)米国の通商を保護すること。1794年11月1日に建造が開始され1797年10月21日に進水。実は当時のジョン・アダムズ大統領臨席の下で9月20日に進水式が行なわれたのですが、船台から8m動いただけで止まってしまうというアクシデントを起こしています。大変な難産だったようです。

(2)建造したのはマサチューセッツ州ボストンのEdmund Harttの所有する造船所でした。独立戦争時の1775年に設立されたContinental Navy(大陸海軍)は、1785年に解散していますのでConstitution建造当時は正規の米国海軍工廠は存在せず民間の造船所に委託され、Samuel Nicholson艦長の監督下で建造されたと記録されております。
 
余談ですが、Nicholson艦長は、大陸海軍の旗艦であったBonhomme RichardのJohn Paul Jones艦長の下で海尉(Lieutenant)だった経歴の持ち主です。筋金入りの軍艦乗りですね。

(3)大陸海軍創設当時は、英国海軍に全く歯が立たず散々な目にあったそうですが、それを意識したのか1794年のNaval Actでは6隻の内、4隻は当時の平均的なフリゲートより大型の44門艦と指定してありました。ところが1796年にアメリカとアルジェが休戦した影響もあり、結局建造されたのは44門艦が3隻(Constitution, President及びUnited States)、それに38門艦が3隻(Congress, Constellation及びChesapeake)でした。

(4)コンスティテューションの寸法は、全長204ft(62 m)、ガン・デッキ長174ft(53m)、全幅43.6ft(13.26 m)、重量2,200トン(1533BMトン)となっています。多少古い設計ですが、ほぼ同じ時代に活躍した英国海軍の74門艦(HMS Vanguard、HMS Elephant等のネルソンの乗艦が多いArrogant class、合計で12隻建造)は、標準ガン・デッキ長168 ft (51 m)、全幅46.9ft (14.25 m)、重量1600~1645BMトンですので、コンスティテューションはフリゲート艦として桁外れに大きいことが良く判ります。

因みにArrogant Classの74門艦の内4隻 HMS Excellent(1787)、HMS Elephant(1786)、HMS Saturn(1786)及びHMS Goliath(1781)は、1813~20年に掛けて、58門搭載のフリゲート艦に改装(Razeed)されています。オーブリー・シリーズの中で、USS Constitutionを視認したHMS JAVAの水兵が「ポルトガルのレイジーだ」と声を上げる場面がありましたね。

(5)建造に使用された木材は、ライブ・オーク(ジョージア州産のSouthern Live Oak)、ホワイト・オーク(White Oak)、ホワイト・パイン(White Pine)が中心です。Mystic Seaportで補修工事中のCharles W.Morganに使われている木材と全く同じ種類ですね。 

(6)武装について、コンスティテューションは44門艦とされておりますが、1812年の第2次英米戦争当時は、24ポンド砲 x 30門、32ポンド・カロネード砲 x 22門、24ポンド長砲(バウ・チェーサー)x 2門、24ポンド長砲(スターン・チェーサー)2門の合計56門を搭載していたとの記録がありますので、平均的な英国海軍のフリゲート艦には余りにも強力な敵であったと思います。

コンスティテューションは、ボストンの海軍工廠の敷地内に現役保存されておりますので、先ずは荷物チェックを受けて、グループに分かれ現役の水兵の案内を受けることなります。これは英国ボーツマス港の旗艦ヴィクトリー号と同じですね(20数年前と見学手順から変っていなければですが)。

USS Constitution 2 July 2008

コンスティテューションについては、何回かに分けて記事を書こうと思います。写真の通り、補修中であり「聳え立つマスト、天を貫くジブ・ブーム」の印象からはかけ離れた姿ですが、長い船体、大きく開いた砲門、24ポンド砲と、とても迫力がある姿でした。 

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