モーリシャス(Mauritius その2、グランド・ポートの戦い、1810年)

Battle of Grand Port

この絵画はブレスト出身のフランスの海洋画家Pierre-Julien Gilbert (1783 - 1860)によるものです。原画はフランスの国立海軍博物館(Musée National de la Marine)で展示されているそうです。この博物館は、パリのシャイヨー宮殿(Palais de Chaillot)の南翼側にあり、いつか訪れようと思っています。

1809年~1811年にかけての英国のモーリシャス遠征(Mauritius campaign)は、ナポレオン戦争(The Napoleonic Wars, 1803年~1815年)の中の英仏の海外拠点を巡る戦いです。フランスはモーリシャス島を1715年にオランダから奪いÎle de France (フランス島)と改名し支配していましたが、英国軍に1810年12月3日に降伏し、1814年に正式にイギリス領になりました。

このモーリシャス攻防戦の中で、表題のThe Battle of Grand Port(グランド・ポートの戦い)は、英国のフリゲート艦4隻とフランスのフリゲート艦2隻とスループ(コルベット)艦1隻、更に英国から奪った東インド会社船セイロンの4隻の戦闘でした。

グランド・ポート湾の沖合いにある要塞化されたIle de la Passe(イル・デラ・パス)をピム艦長(Samuel Pym)の乗艦HMS Sirisu(シリウス、36門フリゲート艦)が攻略、この要塞島を守っていたNesbit Willoughby(ネスビット・ウィロビー)艦長のHMS Néréide(ニアリード、32門フリゲート艦)が、1810年8月20日にコモロ諸島から帰還し、Grand Portに寄港しようとしたDuperré(ドゥプレ)艦長が率いるフランス軍戦隊4隻を迎え撃つ形で戦闘が開始されました。8月22日に英国フリゲート艦隊、HMS Sirius、HMS Iphigenia(イフィジニア、36門フリゲート艦)及びHMS Magiccienne(マジシェンヌ)の3隻がGrand Port湾に進入しました。

手前に描かれているマストが薙ぎ倒され、前部が煙に包まれているフリゲート艦が、ハリファックスの海事博物館に模型が展示されていたシリウスです。英国海軍旗が未だ翻っており、フランス海軍に捕獲されないよう自ら火を放っている姿です。左から右に見ると、降伏したHMS Iphigenia(イフィジニア、36門艦フリゲート、 Henry Lambert艦長、因みにランバ-ト艦長は1812年12月29日にHMS Javaの艦長としてUSS Constitutionに降伏しています)、これも自ら火を放っているHMS Magicienne(マジシェンヌ、32門艦フリゲート、Lucius Curtis艦長、1862年にバス勲章叙勲、1864年に海軍卿に就任している)、上記したHMS Siriusの後ろに見えるフォア・マスト以外倒され、フランス海軍に降伏しているのは、 HMS Néréide(ニアリード、32門艦フリゲート、Nesbit Willoughby艦長、1842年に海軍少将に昇格している)です。

右側のフランス艦は、ドゥプレ司令官の乗艦Bellone(ベローネ)44門フリゲート艦、Minerve(ミネルバ)48門フリゲート艦、そして右端が元英国東インド会社のCaylon(セイロン)です。ミネルバとセイロンの間に見えるのが、Victorです(ビクター、20門搭載のスループ艦、1809年11月2日にHMS Victorはベローネに捕獲されフランス海軍に編入されていた)です。

英国フリゲート艦隊4隻とフリゲート2隻を中心としたフランス艦隊との戦闘ですので、フランス側のフリゲート艦2隻が大型であっても、英国側は五分五分以上に戦えると思ってしまいますが、絵画の通りフランス側の大勝利の結果になっています。もっと云うと、1810年8月20日~27日まで続いたグランド・ポートの戦いはナポレオン統治下のフランスが勝利した唯一の海戦と記録されています。更に付け加えると、冒頭の絵画では、7日間に渡る個々の戦闘が一緒に描かれています。

HMS Siriusが早々に座礁してしまい、英国側の先任艦長でこの戦いの司令官であったピム艦長が自艦の離床に拘ったことと、ピム艦長とウィロビー艦長の確執が英国側の敗北に繋がった事実は史実からも読み取れます。因みにウィロビー艦長は、オーブリー&マチュリン・シリーズでは、クロンフォート卿として描かれておりますが、Grand Portに近づいたピム艦長に、「Enemy of Inferior Force」(敵戦力劣れり)の信号を送り、味方をミスリードしているのも史実通りです。 

下の絵はロンドン郊外のグリニッジのNational Maritime Museumに保管されている版画で、離床を試みるHMSシリウスの姿です。

HMS_Sirius.jpg

因みにHMSシリウスの残骸は、現在のMahebourg沖の海底20m~25mの地点に残されています。現地のダイバー・グループがHMSマジシェンヌの残骸と共に 1964年に沈没現場を確認しています。現場にはアンカー、多数の18ポンド砲が残されておりダイバー・スポットになっているそうです。下はシリウスの図面です。無論、焼かれて沈んだ船ですし、スウェーデンのWasaのように船体が綺麗に残っている訳ではないのでしょうが。

HMS Sirius 図面

オーブリー&マチュリン・シリーズの物語は登場人物、登場艦を含めてかなり史実に沿って描かれていると思います。無論、クロンフォート卿は完全な創作ですし、ジャックの敵として描かれている40門フリゲート艦Vénus(ヴィーナス)のハムラン戦隊司令官(Jacques Félix Emmanuel Hamelin)は、物語の中でHMS Boadicea(ボアディシア)との戦闘で戦死していますが、これは史実と異なります。このフリゲート艦同士の戦いは「1810年9月18日の戦闘」として記録されていますが、ハムラン戦隊司令官は生き延び、1811年にフランスに帰国。ナポレオンにレジオン・ドヌール勲章(L'ordre national de la légion d'honneur)を叙勲され、海軍少将(Rear Admiral)に昇格しています。

因みに、グランド・ポートの戦いに勝利したGuy-Victor Duperré (ドゥプレ)艦長は、後日、提督(Full Admiral )となり、 海軍大臣(Naval Minister)に昇りつめています。

記事を書いていて、モーリシャスを再訪したい気持ちが強くなってきました。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

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