モーリシャス(Mauritius、その1、島の風景)

Hotel St.Geran Private Beach

モーリシャスを訪れた2003年9月時点では、オーブリー&マチュリン・シリーズの存在を知りませんでした。The Mauritius Command(の和訳)を読んだのは2005年頃だったと思います。

予約したホテルはLa Saint Geran(ル・サン・ジェラン)で、ホテルに到着してから知ったのですが、このリゾート・ホテルの名前は、1744年にモーリシャス島で遭難したフランス東インド会社の帆走輸送船La Saint Geranに因んでいるそうです。冒頭の写真は、リゾートのプライベート・ビーチをホテルで借りたボートから撮影したものです。

ル・サン・ジェランはモーリシャス島の東海岸に突き出した半島に位置しており、前評判以上に素晴らしいリゾート・ホテルでした。旅行と仕事で訪れる数多いホテルの中で、僕は未だにサン・ジェランを超えるホテルに出会えていません。部屋も、ビーチも、サン・ジェランより優れているホテルは多くありますが、やはり雰囲気とサービスでしょうか。無論、僕の印象は2003年当時のもので、現在はどうなっているか判りませんが。

ところで、これも僕の持論ですが、優れたホテルは高級ホテルであってもKids Welcomeであること。サン・ジェランは大人のリゾートと評されることが多いのですが、子供向けのActivityはとても充実しており、子供達(当時、7歳の長女と4歳の長男)は朝KIDS CLUBに行って、海底散歩(!)とか、乗馬(といってもポニー)とか、貝殻拾いとか、様々なActivityを楽しみ夕方まで過ごします。或いは夕食もKIDS CLUBで食べるほどでした。ハーフ・ボードなので、素晴らしい夕食も毎日ホテルのレストランで用意されるのですが。。

そして僕達は、リゾートでゴルフを楽しむのでもなく、スパに行くのでもなく、毎日、モーリシャス島の各地をレンタカー、マニュアル・シフトの右ハンドル(!)のプジョーで訪れていたのでした。

リゾートの部屋に置いてあったガイド・ブックによると、空港の近くのMahebourgにNaval Museum(海軍博物館)があるとの案内がありましたが、英国海軍の屈辱的な敗北となった1810年のBattle of Grand Port(グランド・ポートの海戦)の史実を認識しなかったので、この博物館は訪れませんでした。後日、The Mauritius Commandを読み、モーリシャスをいつか再訪したいと漠然と考えていますが未だ叶っていません。

Ile Aux Cerfs(イル・オ・セルフ)島 2

上の写真はモーリシャスで一番美しいとされるイル・オ・セルフ島(Ile aux Cerfs)のビーチを訪れた際に撮影したものです。Cerfは鹿の意味ですが、説明によると昔この島で鹿が放牧されていたそうです。

信じられないほど透明で遠浅な海と真っ白なパウダーサンドの砂浜でした。

さて、帆船紀行に戻ります。グランド・ポートの海戦とHMS Siriusに触れる前に、1744年に沈没したサン・ジェランについて。下の写真はサン・ジェランが沈没した近くに建てられている記念碑です。周りは民家が点在しているだけで何にもありません。後で知ったのですが、サン・ジェランから引き上げられた遺品も殆ど上記したNaval Museumにあるそうです。

Saint Geran記念碑1744

サン・ジェランは、1736年にフランスLorient(ロリアン)で建造されたフランス東インド会社の600トンクラスの28門の長砲を搭載した輸送船でした。1744年8月17日夜から18日の未明に掛けて、この船はモーリシャス島の北東部のサンゴ礁に座礁し沈没してしまいました。乗組員、船客、他、合計192人の内、助かったのは僅か9名の大惨事でした。この史実を元に、フランスの作家Bernadin de Saint PierreがPaul et Virginie(ポールとヴィルジニー)が1787年に書かれたそうですが、残念乍らこの小説は未だ読んでいません。

取り留めのない話になってしまいましたが、モーリシャスについて、グランド・ポートの海戦と帆船模型工場に関する2つほどの記事を備忘録として書こうと思います。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

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