USSオリンピア(USS OLYMPIA 1892、Independence Seaport Museum その3)

USS Olympia (10)

1898年5月1日、ジョージ・デューイ艦隊司令官(Commodore George Dewey)の旗艦USSオリンピア(1892年建造、5,865トン)、防護巡洋艦USSボルティモア(Baltimore、1888年建造、4,413トン)、防護巡洋艦USSボストン(Boston、1882年建造、3,189トン)、防護巡洋艦USSローリー(Raleigh、1892年建造、3,183トン)、砲艦USSコンコード(Concord)及び砲艦USSペトレル(Petrel)の6隻は、税関カッターと補給艦2隻を伴いマニラ湾に進入し、Cavite錨地付近にいるスペイン艦隊を発見しました。

スペイン太平洋艦隊を指揮していたのは、Rear Admiral(海洋小説風にいうと海軍少将でしょうか)Patricio Montojo y Pasaron(パトリシオ・モントーホ提督)で、旗艦である非装甲巡洋艦Reina Cristina(1887年建造、3,042トン)に乗艦。艦隊は木造巡洋艦Castilla(1881年建造、3,289トン)、非装甲巡洋艦Don Juan de Austria(1887年建造、1,152トン)、非装甲巡洋艦Don Antonio Ulloa(1887年建造、1,152トン)、砲艦Isla de Cuba、Isla de Luzón、Marques del Dueroの7隻を中心とする艦船でした。

Reina Cristina Castilla.jpg

スペイン艦隊の名誉の為に補記すると、上記の一部の艦船は修理中で動けずに実際には洋上砲台としか機能しない状態であったり、Castillaのように木造で既に旧式となっている艦船があったりと、スペイン側の苦戦は予想されていた為に、モントーホ提督は敢えて、水深の浅く、且つ砲台の援護も得やすいCaviteにて、アメリカ艦隊を迎撃する戦法としたそうです。上に引用した写真は旗艦Reina Cristina(左)とCastilla(右)ですが、バウスプリットも含め帆船の艤装が残っており、アメリカ艦隊とほぼ同じ時代に建造されたのにも拘わらず旧態依然とした姿です。トラファルガー海戦(1805年)の英国海軍の旗艦Victoryは、改修されたとはいえ、1765年に建造されており、既に海戦当時には船齢40年だったことと考えると、19世紀後半の技術革新のスピードの速さを改めて感じます。

スペイン艦隊に接近したアメリカ艦隊は、ジョージ・デューイ艦隊司令官の「You may fire when ready, Gridley」の(後日名言として歴史に残されます。GridleyはUSSオリンピアの艦長です)指令により攻撃を開始しました。USS OLYMPIAのブリッジの上でデューイ艦隊司令官が指揮を執っていた位置にはプレートが置かれています。

USS Olympia (9) Foot Steps

この位置から撮影した風景を改めて見ると、砲塔を見下ろす眺めで、やはり近代の巡洋艦です。帆走軍艦時代のクォーター・デッキからの眺めとは全く違います。

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ジョージ・デューイ艦隊司令官の報告書は、The Naval History and Heritage Command (NHHC)のサイトで閲覧することが出来ますので詳細は記載しませんが、アメリカ艦隊は戦列をつくり弧の字を描きながら繰り返しスペイン艦隊と砲台に猛打撃を加え、弾丸が少ないとの誤報による戦闘中断を含め約6時間の戦闘で、スペイン艦隊を文字通り壊滅させました。

スペイン側の被害は、旗艦のReina Christina、Castilla及びDon Antonio de Ulloaの3隻が撃沈、上記した艦船を含むDon Juan de Austria、Isla de Luzon、Isla de Cuba、General Lezo、Marques del Duero、El Correo、Velasco及びIsla de Mindanaoが炎上、他艦艇がアメリカ艦隊に捕獲されました。ジョージ・デューイ艦隊司令官の報告時点ではスペイン側の人的損害は明らかではありませんでしたが、史実によると戦死者161名、戦傷者210名となっております、これに対し、アメリカ側は死傷者0名、戦傷者7名と完全な勝利でした。

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デューイ艦隊司令官はこの戦勝により、マニラ湾海戦のなんと10日後には、Rear Admiral(海軍少将)に昇格しています。1898年7月9日付けのジョージ・デューイ艦隊司令官の報告書では、Rear Admiral, U.S.Nと署名しています。デューイ提督はアメリカ国民の英雄となり、大統領候補に推薦されるほどでした(辞退したそうですが)。1899年3月にはFull Admiral(海軍大将)、1903年には1899年に遡ってAdmiral of Navy(海軍元帥)に昇格しています。因みにAdmiral of Navyは、過去も現在もアメリカ海軍ではデューイ提督にだけ与えられた称号だそうです。

1898年の4月21日~8月21日の米西戦争(Spanish American War)は主な戦場はキューバとフィリピンでしたが、計らずともデューイ艦隊司令官は、歴史の舞台で大きな役回りを演じ、大スペインの没落、新興国アメリカの台頭を見事に演出したような印象を受けます。

USS Olympia (13)

ところで、USS OLYMPIAは博物館の告知の通り、過去65年間も乾ドックで整備されておらず、専門家に「現状だと3年以内に沈没する」との診断がされたそうで、今年の11月22日を以って一般公開を打ち切るようです。修復の為の予算措置の目処が立っていなく、なんとスクラップの末路もあるそうですが、こんなに歴史的な船が窮地に瀕しているとはなんともやりきれない気持ちになります。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

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