アミスタッド(Amistad 2000)

Amistad 7.20..2009 (3)

ボルティモア・クリッパーの記事が続きます。
アミスタッド(Amistad)は、1839年7月に発生したアフリカ奴隷の反乱事件の舞台となったスペイン船籍のLa Amistadの復元船です。La Amistadは、アフリカから奴隷を運んだ奴隷船ではなく、アメリカで建造された120ft(約37m)の2本マストのスクーナー(ボルティモア・クリッパー)でした。通常はスペイン領キューバとの砂糖取引とかの沿岸貿易を従事していたらしいですが、反乱当時は、キューバのバハマからプエルト・ブリンチペ(Puerto Principe)に向けて子供4人を含む52人の奴隷を積貨として航海中でした。

反乱の首謀者は、メンデ族で1839年1月にアフリカで誘拐され奴隷として売られたSengbe Pieh(アメリカ名:ジョゼフ・シンケ、Joseph Cinque)で、現シラレオーネのLombokoに集めれ、悪名高いポルトガルの奴隷船Tacoraにより、キューバに連れて来られた人です。自ら鎖を解き、他の仲間の奴隷を解放しLa Amistadの船長とコックを殺害。奴隷の所有者としてLa Amistadに乗船していたホセ・ルイス(Jose Ruiz)とペドロ・モンテス(Pedro Montez)に、母国(アフリカ)に向かうように要求したのでした。

La Amistad  

ところが、上記のホセ・ルイスとペドロ・モンテスは策を練り、La AmistadをNew Englandに向けて航行させたところ、La Amistadは1839年8月26日にロング・アイランド沖で、米国海軍USS Washington(1837年建造のブリッグ、91ft、190トン)により捕捉され、コネチカット州のNew Londonに持ち込まれました。上に引用した絵は、USS WashingtonがLa Amistadに接近してくる場面です。

この後の裁判、史実については細かく触れませんが(この反乱事件を扱った映画もあったそうですが)、この事件を契機に設立されたアミスタッド協会により、最終的に反乱首謀者を含み生き残った36名の奴隷は、1842年にシラネオーネに帰還しています。

ということで、コネチカット州の旗艦であり親善帆船であるアミスタッドは、奴隷制度についての歴史的啓蒙を行なう目的も持っているのです。

Amistadは、コネチカット州のミスティック・シーポートのHenry B. duPont Preservation Shipyardで1988年3月に建設が開始され、2000年3月25日に進水しました。プライド・オブ・バルティモアⅡと同じく、従来通りの工法により、且つ、船材もホワイト・オーク、マストは米杉と19世紀当時と同じ材料で建造されています。

アミスタッドの全長は129ft(約39.3m)、船巾は23ft(約7m)、重さは136トンです。オリジナルのLa Amistadよりは少し大きい船体ですが、プライド・オブ・ボルティモアⅡよりは一回り小さいサイズです。とてもバランスが取れた美しいトップスル・スクーナーです。

Amistad 7.20..2009 (2)

アミスタッドが、ハリファックスの一般公開で係留されていたのは、ハリファックス港の対岸のダートマスでしたので残念ながら船上の見学は叶いませんでしたが、2009年7月20日の帆船パレードでその素晴らしい姿を堪能しました。冒頭の写真は、アミスタットがハリファックス湾の奥で回頭しているところです(一瞬、横帆が裏帆を打っています)。見事な光景でした。

Amistad 7.20..2009 (1)

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

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