Juan Manuel De Ayalaとサン・カルロス(San Carlos 1767)

San Francisco Maritime National Historical Parkの広い敷地を散策している時、湾を見渡す場所に石碑が置かれているのに気が付きました。「1775年8月5日、ファン・マヌエル・デ・アヤラ海尉指揮下のスペインの補給艦サン・カルロス号は初めてサンフランシスコ湾に入った船となった」と記述されています。

サン・カルロス(San Carlos)は、1767年建造の2本マストのブリッグ型帆船です。下の絵は、20世紀に入り復元されたものですが、スノー型艤装かもしれません。鮮明ではありませんが、メインマストの後ろにスノーマストが描かれている気がします。

ファン・マヌエル・デ・アヤラ海尉(Lt.Juan Manuel De Ayala)は、1745年にスペインのセビリヤ近郊の小さな街オスナ(Osuna)で生まれました。1760年に15歳でスペイン海軍に入り、1774年に海尉心得、1776年に海尉に任命されています。ということは、サンフランシスコ湾に来航した時は、海尉心得(Acting Lieutenant)だったのですね。30歳の海尉心得というと、英国海軍小説風にいうと少し昇進が遅いような気がしますが、その後、順調に1782年に艦長(Post Captain)になっています。ちなみにアヤラ艦長は、1784年にスペインに帰国して翌1785年にリタイア。没年は1797年です。余談ですが、アヤラ艦長は1779〜1781年にフィリピンに航海しているので、現在のフィリピンのアヤラ財閥と関係があるのではと想像しましたが、これは思い違いのようでした。

さて、サン・カルロスはサンフランシスコ湾に入った後、Angel Islandの現在Alaya Coveと呼ばれている入江に停泊。1775年9月18日に去るまでの1ヶ月半の間に、航海士Jose Canizaresが中心となり、San Carlosに搭載していたロングボートで湾内を隈無く測量し、サンフランシスコ湾の海図を作成しています。上に引用した地図が、当時作成されたものです。サン・カルロスの航海日記とアヤラ海尉の報告書を見ると当時の様子が良く分かります。
美しいサウサリート(Sausalito)は、アヤラ海尉が1775年にスペイン語でSauzalito(Small Willow Grove = 小さい柳の木立)と名付けたそうです。
ところで アルカトラズ島もアヤラ海尉が命名したのが通説になっていますが、1775年にIsla de los Alcatraces(ペリカン島)と命名されたのは、現在のYerba Buena島で、監獄島で有名な小島がアルカトラズ島と呼ばれるようになったのは1826年との話もあります。

次の記事は、サンフランシスコ湾クルーズです。
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