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Yacht America (ヨット・アメリカ 1851) その1

Amrcia side mark

Yatch Americaは、たぶん史上一番有名なヨットでしょう。

現代に引き継がれるアメリカスカップの名前の由来になっているのは、当時ニューヨーク・ヨットクラブ(NYYC)に所属していた全長101ft(約30.86m)のスクーナーです。

1851に開催されたロンドン万博の期間中、Cowesを本拠にし1815年に設立された名門Royal Yacht Squadron(ロイヤル・ヨット・スコードン)が主催した、ワイト島を一周するヨットレースに、外国艇として唯一このYacht Americaが参戦しました。

スクーナー7隻、カッター8隻の合計15隻で争われたレースで、Ameriaは5番手と出遅れましたが、東岸の灯船と陸地の間を抜けるコースを取り一気に先行艇を抜き去り1位に躍り出ます。Americaはそのままの位置を保ち、ヴィクトリア女王が見守る中で勝利したのでした。ところで、観戦していたヴィクトリア女王は、アメリカ艇が一番と知って、「2番艇は誰?」と質問されたそうです。その回答は「There is no second, your Majesty(女王閣下、2番はないのです)」との名言として歴史に残っています。

1851 Race course

上の公式地図の東端のNAB LIGHTの内側をAmericaが通過したのですが、これはルール上問題がないとして後日競合艇からのクレームされましたが却下されています。因みに2番艇は、47トンのカッターAuroraでした。

Americaが獲得した100ギニー杯は(因みに、これは1848年に作られた何の変哲も無い水差し型の銀杯だそうです)、その後Yacht Americaが所属していたニューヨーク・ヨットクラブに「この銀杯の保持者は、いかなる国の挑戦を受ける義務がある」と記されたDeed of Giftと共に寄贈され、1983年にオーストラリア艇に敗れるまで、実に132年の長きに亘り米国内に留まったのでした。

Yacht America Old Photo

上は現存する数少ないYacht Americaの写真ですが、1851年のレースの時とは艤装が異なっているようです。このヨット(というかスクーナー)はその後、数奇な運命を辿ることになるのですが、これから何回かに分けてAmericaの記事を書いてみます。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

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