海賊の島(Frégate Island 2011、その3、Olivier Levasseurの伝説【後編】)

Anse Parc (7) Beach View

さて、ポルトガルのガリオン船Nossa Senhora do Caboの財宝はどうなったのでしょうか?

海賊ルヴァスールは、Nossa Senhora do Caboの財宝をJohn Taylorと山分けした時に、大量の金貨、ダイヤモンドと共にゴアの十字架を手に入れたと伝えられています。十分儲けた海賊稼業からの引退を考えたのか、1724年に当時のブルボン島(現在のRéunion島)にいるフランスの総督に使者を送り、「インド洋の全ての海賊行為を止めることを条件とした恩赦の要請」を行いました。ところが、フランスの総督は、略奪された財宝の返却を求めたことから、ルヴァスールは恩赦を得ることを諦め、セイシェル諸島に隠れ住むようになりました。

因みにこの絶海の孤島群にセイシェルの名前が付けられたのは1754年になってからです。当時のルイ15世の宰相Viscount Jean Moreau de Séchellesの名前から命名されたそうですので、ルヴァスールの時代には違う名前で呼ばれていた筈です。正確にいうと、フランス政府は1754年に現在のマヘ島をセイシェル島と命名しフランス領として正式に編入しています。その後、セイシェルの名前は群島全体を指すことになったそうですが。

冒頭の写真は、Frégate IslandのAnse Parcで撮影した写真です。Frégate Islandには、主に7箇所のビーチがありますが、尤も荒々しい印象を持つこの入り江は17~18世紀の海賊の格好の隠れ家であったとされています。実際に、Anse Parcから他の島は見えないことからも絶好の投錨地だったそうです。下の写真は、Frégate Islandのヘリコプター発着場所付近に置いてある大砲です。島の近くの海から引き揚げられたそうです。ちゃんと砲座に置かれていないのは残念ですが、レプリカではなく帆船に搭載されていたと思われる本物の大砲ですので雰囲気満点です。

Canon.jpg

ルヴァスールのセイシェルでの隠居生活は1730年に終わりを告げます。マダガスカル島のFort Dauphin(現在の名前は、Tôlanaro)で捕らえられ、1730年7月7日にレユニオン島のSaint-Denisで海賊行為の罪により絞首刑に処されてしまいました。

さて、これからが宝島伝説です。

伝説によると、ルヴァスールは死刑台から「これを解読できるものが財宝を手に入れる」と叫びつつ、17行から構成される暗号文を観衆に投げ入れたそうです。

ところで、Frégate Islandはルヴァスールが隠したゴアの十字架が埋められている可能性のある7つの島の内の1箇所だそうです。ゴアの十字架は高さが3mもある純金製で、現代の価値に直すと2億ポンド(約250億円)にもなるそうですが、今の金相場からもっと価値が高まっているかもしれません。尤もゴアの十字架の大きさにも諸説はあるそうですが。

それでは次の記事では、Anse Parcの印象について詳しく書いてみたいと思います。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

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