ビクトリア・フォールズ(Victoria Falls、Zimbabwe、2008、その1)

世界3大瀑布と云われている、北米のナイアガラの滝も、南米のイグアスの滝も訪れたことはないですが、何故かビクトリアの滝に惹き付けられました。以前ケープタウンは家族旅行で訪れているのですが、子供達が小さかったこともあり、サファリにもジンバブエにも足を延ばしませんでした。最近の激務を言い訳にブログの更新のスピードが、酷く落ちてしまっていますが、少しづつ備忘録的に過去の旅行を記事にしていこうと思います。
2008年の新年は、南アフリカのMadikwe Safari Lodgeで迎え、翌日にヨハネスブルク経由でジンバブエのビクトリア・フォールス・タウンに飛びました。往年の豪華な飛行艇ではなくただの旅客機でしたが。
2008年1月のジンバブエは、超パイパー・インフレの只中にあり(前年同月比で10万%!)、観光地であるビクトリア・フォールズ・タウンではさほど不穏な空気は漂っておりませんでしたが、覗いたスーパー・マーケットの商品棚は殆ど空の状態で、ガソリンスタンドには車が列をなしており、異常事態であることは肌で感じられました。
さて、予約したのは勿論、1905年に開業した由緒正しい、ビクトリア・フォールズ・ホテルです。

ホテルの敷地からビクトリア瀑布の水煙が見えます。下の写真は、ホテル正面の広大な庭園から撮影したものです。訪れた1月は乾季で水量が少ないのですが、それで雲のような水煙が上がっていました。ところで、写真に写っているのは、英国のCleaveland Bridge社が建設し1905年に竣工した、ジンバブエとザンビアを結ぶ鉄橋です。そもそも鉄道橋として設計されたそうですが、100年以上も前に、長さ250m、高さ128mのアーチ橋を、今でも決して交通の便が良いとは思えない地に建設したのは凄いことだと思います。そもそもこの橋の建設は、アフリカ大陸を北から南に鉄道を敷設する壮大な計画で、英国の宰相に上り詰めたセシル・ローズ(Cecil Rhodes)が提唱したカイロ-ケープタウン鉄道プロジェクトの一貫でした。勿論、現在に至るまでこの計画が達成されることはありませんでしたが。

ビクトリア・フォールズ・ホテルでは、夕方のベッドメイキングの際に、蚊帳(!)が吊られると共に、テーブルに、セピア色に刷られた昔の新聞(Victoria Falls Advitizer)が置かれます。1920年3月19日付けの新聞に15年前に建設されたビクトリア・フォールズ鉄橋について次のような記事がありました。記事の中に「the first link across the Zambezi River between Northern and Southern Rhodesia」と記載されていますが、この南北ローデシアの名前に歴史を感じます。

ということで、もう少しこの歴史紀行を続けたいと思います。
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