Happy 105th Birthday (Peking 1911、NYC、サウス・ストリート・シーポート博物館)

peking 1911

2月25日は、Pekingの105歳の誕生日でした。

100歳の誕生日の記事を書いたとき、このFlying P-Linerの行く末をを心配していたのですが、昨年嬉しいニュースが入ってきました。National Maritime Historical Society(NMHC)のブログでも説明されていますが、Pekingは本来の母港であるドイツのハンブルグに里帰りすることになったそうです。

ドイツ連邦政府が120Milユーロ(約150億円)を拠出することを決定したハンブルクのGerman Port MuseumのメインアトラクションとしてPekingに白羽の矢が立ったのでした。Pekingがタグボートに曳かれ大西洋を渡ったのが1975年です。ドイツ連邦政府は、Pekingをハンブルグに輸送する費用として30Milユーロ(約37億円)の予算承認もしているそうです。本当に良かったですね。

Blohm+Voss.jpg

上の写真は、とある国のボートショーに出展していた、Blohm+Vossのブースです。以前の記事で書いたように、ハンブルグのBlohm & Voss造船所は1877年に創立、1905年にPamir、1911年にPekingとPassat、とFlying P-Linerの名船達、そして1936年にイーグル、1937年にサグレスも建造している由緒正しい造船所で(ビスマルクとかの戦艦、軍用機も造っていました)、現在もティッセン-クルップの子会社として存続しています。ブースにいたBlohm+Vossの人(ドイツから出張していた女性)と少し話しをしたら、僕が日本人と知って「ドイツも日本も昔は良かったけど今は造船業は厳しいよね」なんて会話になりました。

彼女はスーパーヨットBV80の販売を担当しているそうですが、この80は80ftではなく80mを意味しますので、長さがなんと262.5ftです。ヨットというには大きすぎる感じですが、ゲストは12名、クルーが23名だそうですので、贅を尽くした船ですね。

Peking July 2010

ハンブルグは、以前家族が住んでいたこともあり馴染みがある街です。綺麗に補修されたPekingを見にいつかハンブルグを再訪したいです。

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バルクルーサ (Balclutha 1886) その1

Balclutha 1

早くも1年半も経ってしまいましたが、2014年にサンフランシスコを訪れた際の記事を再開します。

冒頭の写真は、Hyde Street Pierに係留されている3本マストフルリグドシップ型の帆船バルクローサ(Balclutha)です。Balcluthaは、1886年に英国グラスゴーのCharles Connell and Companyの造船所で建造されました。

鋼鉄製で、全長301ft(約92m)、全幅38.6ft(約11.8m)、全高145ft(約44m)と、クリッパー型帆船に比較するとマストが低く如何にも貨物船の形をしています。

Balclutha 2 rear view

帆走フリゲートの様な砲門をデザインした船体の塗装は、当時の流行だったのでしょうか。1885年に建造されニューヨークのSouth Street Seaportに係留されているWavertreeも似たような塗装がされています。

バルクローサに関する詳しい調査報告書が、Historic American Engineering Recordとして残っています。

船首像についての由来を調べてみたのですが、この資料によると造船所側から船主に「船首像を発注したいので船名を決めて欲しい」との依頼が出されたそうですが、船主Robert McMillianは船名は決めずに、当時一般的であったStylish Modern Demi-woman(モダンでスタイリッシュな女性半身像)を船首像に選んだそうです。確かに、気品があるEuterpeの船首像と比較するとバルクルーサ の船首像は少し平凡な感じがします。

Balclutha Figure Head

サンディエゴに保存されているEuterpe(Star of India)は1863年に建造されていますので、バルクローサより23歳も年上です。バルクローサは、1904年に Alaska Packers' Association(ASA)に売却されStar of Alaskaと改名されています。一時期Star of Indiaの僚船だったと思うと面白い繋がりです。下はASA時代のStar of Alaskaの写真です。

balclutha_1929.jpg


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L'Hermione, French Frigate 1779

フランスのフリゲート艦ハーマイオニーのレプリカが北米の各港を訪問しています。アメリカ独立戦争の立役者の人である、フランスの貴族ラファイエットが1780年にHermioneで大西洋を渡りボストンに到着、1781年のヨークタウンの戦いで重要な役回りを演じます。



ハーマイオニー(Hermione)と聞くと、忌まわしい反乱事件を起こしたHMS Hermione(1782年建造)を想像してしまいますが、同名のフランス艦はL'HermoineはRochefort(ロシュフォール)で1779年に建造された12ポンド砲32門搭載のコンコルド級のフリゲート艦です。

The_Hermione_being_escorted_by_the_USS_Mitscher_(DDG-57)_(1).jpg

この写真は、WEBからの借用ですが見事な姿ですね。Hermioneは、1997年にオリジナル艦と同じロシュフォールで建造が開始され2012年に進水。艤装を整え2014年に処女航海に出ています。今年は大西洋を横断して、6月5日にヴァージニア州のヨークタウンを訪問。北上して独立記念日にはニューヨーク。先週末からカナダのノバスコシア州のルーネンバーグに寄港していた筈です。

冒頭で引用したのは、youtubeの動画ですがドローンで空撮したそうです。
このような場面に遭遇したら本当に幸せでしょうね。

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Juan Manuel De Ayalaとサン・カルロス(San Carlos 1767)

SF MNHP

San Francisco Maritime National Historical Parkの広い敷地を散策している時、湾を見渡す場所に石碑が置かれているのに気が付きました。「1775年8月5日、ファン・マヌエル・デ・アヤラ海尉指揮下のスペインの補給艦サン・カルロス号は初めてサンフランシスコ湾に入った船となった」と記述されています。

サンフランシスコ石碑

サン・カルロス(San Carlos)は、1767年建造の2本マストのブリッグ型帆船です。下の絵は、20世紀に入り復元されたものですが、スノー型艤装かもしれません。鮮明ではありませんが、メインマストの後ろにスノーマストが描かれている気がします。

San Carlos 1775

ファン・マヌエル・デ・アヤラ海尉(Lt.Juan Manuel De Ayala)は、1745年にスペインのセビリヤ近郊の小さな街オスナ(Osuna)で生まれました。1760年に15歳でスペイン海軍に入り、1774年に海尉心得、1776年に海尉に任命されています。ということは、サンフランシスコ湾に来航した時は、海尉心得(Acting Lieutenant)だったのですね。30歳の海尉心得というと、英国海軍小説風にいうと少し昇進が遅いような気がしますが、その後、順調に1782年に艦長(Post Captain)になっています。ちなみにアヤラ艦長は、1784年にスペインに帰国して翌1785年にリタイア。没年は1797年です。余談ですが、アヤラ艦長は1779〜1781年にフィリピンに航海しているので、現在のフィリピンのアヤラ財閥と関係があるのではと想像しましたが、これは思い違いのようでした。

Map of San Francisco Bay 1766

さて、サン・カルロスはサンフランシスコ湾に入った後、Angel Islandの現在Alaya Coveと呼ばれている入江に停泊。1775年9月18日に去るまでの1ヶ月半の間に、航海士Jose Canizaresが中心となり、San Carlosに搭載していたロングボートで湾内を隈無く測量し、サンフランシスコ湾の海図を作成しています。上に引用した地図が、当時作成されたものです。サン・カルロスの航海日記とアヤラ海尉の報告書を見ると当時の様子が良く分かります。

美しいサウサリート(Sausalito)は、アヤラ海尉が1775年にスペイン語でSauzalito(Small Willow Grove = 小さい柳の木立)と名付けたそうです。

ところで アルカトラズ島もアヤラ海尉が命名したのが通説になっていますが、1775年にIsla de los Alcatraces(ペリカン島)と命名されたのは、現在のYerba Buena島で、監獄島で有名な小島がアルカトラズ島と呼ばれるようになったのは1826年との話もあります。

アルカトラス島

次の記事は、サンフランシスコ湾クルーズです。

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Maserati VOR70 (マゼラーティのレーシング・ヨット) その7

Maserati Ghibli SS ormaments

これは、20年以上前にイタリアModena付近のカロッツェリアを廻っているときに買い求めた、マゼラーティGhibli 4.9 SSのオリジナルのオーナメントを額に入れたものです。七宝焼のGhiaのバッジは残念ながら1個しか見つかりませんでしたが。個人的にGhibliのデザインはGiugiaroの最高傑作の一つだと思っていますので、いつか程度が良い実車を手に入れたいと思っているのですが、昨今クラッシックカーの相場が信じられないレベルまで上がってしまい叶わぬ夢かもしれません。

New Ghibli at Fashion Island

上の写真は、今年の8月にカリフォルニアのNewport Beachにあるファッション・アイランドに展示してあった新型Ghibliですが、1966〜1973年にスパイダーを含め1,300台弱生産されたオリジナルのGhibliとは名前が同じだけで、趣旨もデザインも異なる車です。Cピラーについているオーナメントがオリジナルと同じデザインですし、色も素晴らしいのですが(下の写真の海の色に似ていませんか?)、4ドアであればQuattroporteの選択肢もありますし。

さて、マゼラーティがスポンサーになっている、Soldini Maseratiは、長らく風待ちをしていましたが、以前書いたNew York - Lizard Point間の最速帆走記録樹立を目指し、東海岸時間で昨晩10月17日20:27にニューヨーク港を出航しました。

Soldini Maserati under the sail

上の写真は、公式ホームページから借用したものですが、2003年にMari Cha IVが樹立した6日17時間52分39秒の記録を破れると良いですね。Maseratiのこの区間の記録への挑戦は、2012年5月以来2度目の挑戦です。

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