Star of India (ex-Euterpe) 1863 その6

Star of India ASA Flag

エウテルペは1899年にPacific Colonial Ship Companyに売却され、活躍の場所をアメリカ西海岸に移します。この時点で船歴36年を超え、時代遅れの帆走貨物船になっていた筈です。そして、20世紀に入り、今度はAlaska Packers'Association(ASA)に売却され、艤装がフルリグド・シップ型の美しいクリッパー帆船から、より実用的なバーク型帆船に改造されました。冒頭の写真は、スター・オブ・インディアの船倉を改造した博物館に展示されてあったASAの社旗です。

そして、誕生から43年後に、詩的な響きのエウテルペ(Euterpe)から、ASAの他のフリートと同じく、Starで始まる船名、Star of Indiaに改名されました。まあ、ここで船首像がインドで建造された英国のフリゲート艦HMS TRICOMALEEのようにターバンを巻いたインド人の彫像に変わっていたらなんとも興ざめでしょうが、現在に至るまでフィギュアヘッドは、ギリシャ神話の女神のままです。

Star of India ハッチ

中央甲板に大きく開いたハッチがこの帆船の性質を物語っています。Star of Indiaの現役最後の20年間は、サンフランシスコから缶詰工場で働く労働者を乗せてアラスカに航海し、サーモンの缶詰を満載してサンフランシスコに戻る航海を繰り返していました。

1918年にこの老朽帆船は、17日間も流氷に閉じ込められてしまいます。同じ時期にこの海域を航海していた木造帆船は、氷の重圧に押しつぶされ、少なくとも2隻が破壊・沈没してしまったそうですが、Star of Inideは運良く、駆けつけた蒸気船NUSHAGAKに救助され無事でした。ここでも鍛鉄(wrought iron)製の頑丈な船体に助けられています。

1918年の流氷の海を切り開くSS NUSHAGAKの船上から撮影した写真が残っています。白黒で見ると流氷は岩のようです。撮影日は1918年の5月です。Star of Inidaがサンフランシスコを出航したのは1918年4月10日と記録されておりますので、正にこの写真はStar of Indiaを海難から救っている場面かもしれませんね。

SS Nushagak 1918

この1918年の航海に乗り合わせた船員Stanley Olsonの息子が、当時を回想する文書がサンディエゴ海洋博物館の機関誌MAINS'L HAULの2003 年夏秋号(No.39)に載っています。Olson氏が、苦難の航海からサンフランシスコに戻り、自宅に入ろうとしたところ、髯を剃り、風呂に入り身を綺麗にするまで、Olson夫人に家にいれてもらえなかった話とか、Olson氏が来ていた服を夫人が燃やして捨てたとか、なかなかリアルで面白い話です。

STAR_OF_INDIA_Alaska.jpg

上は、ベーリング海のNushagak付近で撮影された晩年のStar of Indiaの姿です。
Star of Indiaは、合計22回に及ぶベーリング海への航海の後に、1923年に現役から引退します。というと既に余生を90年も送っていることになりますね。

これでStar of Indiaの記事は終わりにします。

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Star of India (ex-Euterpe) 1863 その5

Star of Indea Stern

1879年のエウテルペの英国からニュージーランドの航海を想像して、また写真を白黒で処理してみました。

さて、1879年8月〜12月のエウテルペの航海の乗客は、サルーン客12名(一等船室)、2等と3等船室の乗客を含め合計154名でした。因みにStead Ellisの日記の中で、病気の末っ子とLizzie夫人が、サルーン客のCrossley夫妻に、ステートルームに招かれ、感激する場面も出てきます。

勿論、Ellis氏の日記は不満不平だけではありません。2等船室の乗客が中心になって手書きのEuterpe Timesを発行したり(航海中に合計14号が発行されました。Stead Ellisが編集の中心になっていました)、イルカの描写、サメを吊り上げる場面、アルバトロス(アホウドリ)に感嘆したりと、航海中の出来事は、時代は50年以上前の19世紀初旬のオーブリー・シリーズの場面と似ていることに気が付きました。無論、Ellis氏の記述はノンフィクションどころか、日記そのままです。

Star of Inida 前部キャビン

特にリアルなのは、赤道近くの無風地帯の暑さ、それに大西洋からインド洋に入るために南下するにつれ、冷たく湿って震える場面です。南緯42度52分まで南下し、ケーブ(喜望峰)を廻ったと日記に記載されています。乗客に毎日、緯度、経度の情報が開示されていたのでしょう。日記に細かく記録されています。船倉に降ろしたチェストを引き上げ、子供達の冬物の衣服を取り出そうとしたら、チェストが鍵が見つかれないので、合う鍵を他の乗客から借りたら、今度は鍵を回す時に壊れてしまった、等々の出来事も記載されていて臨場感があります。

Star of India Bow View

お約束のネズミとの対決もEuterpe Timesの紙面を賑わしています。上の写真の通り、キャッドヘッドが睨みを効かせていても、特に3等船室を中心に大量のネズミがいたそうです。ネズミ狩りが流行り、金曜日に捕まえたネズミの大きさを競う品評会を開催する通知とか、ラットパイの話とか(せめてMiller Pieといって欲しい)、19世紀初旬の帆船の生活と差異がないように思います。

エウテルペでの決して快適とは言えない長い航海の末に、Ellis一家も助手のJoshua Charlesworthも新天地のニュージーランドで成功を収めて良かったですね。

さて、エウテルペのその後については次の記事に続けます。

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Star of India (ex-Euterpe) 1863 その4

Star of India Stern View

僕はニュージーランドを訪れたことはありませんが、首都ウエリントンに残るWellington Town Hallは、1879年の航海でニュージーランドに移民したJoshua Charlesworthが設計したそうです。Joshua Charlesworthは、英国を発った時は19歳で、建築士Stead Ellisの助手としてEllis一家と一緒にエウテルペ(Euterpe)で航海したのでした。

Stead Ellisは、ニュージーランドの著名な教育者として後日に名を残していますが、建築家として設計に携わり1892年に建立したSt.George's Churchも現存しています。

Star of India 船内

昨晩、1879年8月から11月に掛けてエウテルペの船上で書かれたStead Ellisの日記を読んでいたのですが、40歳のSteadがElizabeth(Lizzie)夫人と出帆時に6ヶ月から14歳だった6人の息子達と一緒に洋上で過ごす日常が克明に描かれています。Ellis一家は2等船室で航海しているので、前の記事に掲載したステートルームとか上記の船尾キャビンではなく、食事は中部甲板の食堂で取り、船室は上記の写真の下のデッキだった筈です。記録によると、船尾近くの少し大きめの船室に6.6ft x 3.6ft(201cm x 110cm)の2段ベッドがあり、ここで14歳のHarold君を除く7名が143日間を過ごしたのでした。1879年の航海は、8月2日にロンドンのEast India Dockを出帆して12月24日クリスマス・イブにリトルトン(Lyttelton)に到着しています。1875年〜76年は同じ航路を100日で航海しているので、1879年の航海はエウテルペとして不名誉な最大航海日数でした。

Star of India ギャレー

Stead Ellis氏の日記を少し紹介してみます。何度も出てくるのは、食事にパンが出ないことをクレームする場面です。「200人の乗客乗員を1カ所のギャレー(台所)で賄うのは無理がある」とか「(パンの代わりに出される)Ship Biscuitsが喉につっかえる。個人用の小麦粉を持ってくればよかった」とかの愚痴が綴られています。シップ・ビスケットとは乾パンみたいなものでしょうか。上の写真は現在のStar of Indiaのギャレーです。19世紀後半の船上の生活は現代から見ると快適の対極にあることが判ります。Ellis氏は、人数当たりのトイレ設備が極めて少ないこと、バス(風呂)はなく、男性、女性が決められた時間に甲板で水浴をしたり、洗濯をしたりする場面が描写されていますが(流石に真水でしょうが)、水を汲み上げるポンプが壊れていたりと散々です。

Ellis一家の航海日記を次の記事に続けます。

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Star of India (ex-Euterpe) 1863 その3

Star of India (1)

このブログは「写真で綴る帆船と帆船模型」とサブタイトルを付けていますが、最近、史上最も解像度が高いノートブックと触れ込みの、Retinaディスプレイを搭載した15インチのMacBook Proを使い始めて、自分のブログの写真が余りにお粗末な画質であることを痛感しました。今までは、ブログの幅に合わせるよう、写真の画質を極端に落としておりましたが、今後は少し画質を上げて、記事本文にサブネイルで写真を貼付けることにします。ダウンロードに余計に時間が掛かるかもしれませんがご容赦ください。その代わりに写真をクリックすると大きい画像になります。

さて、冒頭の写真は、セピア色に処理したStar of Indiaの姿です。昔、モノクロのネガに拘っていた時期がありましたが、被写体が帆船の場合、特に停泊中で背景が煩いケースでは、カラーよりモノクロームの方が適している気がします。リギングも明確に見えます。

Star of India 中部甲板

上の写真は中部甲板です。予備のストック・アンカー、整然とビレイピンに巻かれた動索が現役帆船の雰囲気を醸し出しています。デッドアイとランヤードからも、Star of Indiaが19世紀の帆船の印象を強くしています。無論、ランヤードもシュラウドも黒色ですが、当時のようにタールで塗り固められているのではなく、光沢のある化学繊維のロープに換えられています。

Star of India 舵輪

木製の大型の舵輪もいい雰囲気です。ホイールボックスにはStar of Indiaと刻印されているので、エウテルペ時代とは少し異なると思いますが。後部甲板には長い明り取りがあります。見事に磨き込まれたマホガニー製の美しい構造物です。

Star of India 後部甲板

明り取りの下はこんな感じで、ステート・ルーム(State Room)に十分な光が差し込みます。

Star of India Saloon

写真が増えてきましたので、次の記事に続けます。

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Star of India (ex-Euterpe) 1863 その2

Star of India (2)

長いバウスプリットは、クリッパー型帆船を彷彿されます。20世紀の鉄鋼帆船のビジネスライクでシンプルな船首部分の構造と短いバウスプリットとは異なる趣です。尤も、エウテルペ時代の唐草模様のトレイル・ボードは、今のStar of Indiaでは黒く塗り固められているのであまり目立ちませんが。

下の写真は、Star of Indiaの船倉を改造した展示スペースにあるエウテルペ時代の模型です。先の記事の当時の写真と同じフルリグド・シップ型ですね。ペイントも正確に再現されています。

Euterpe Model Ship

エウテルペ(Euterpe)時代のStar of Indiaについては、サンディエゴ海洋博物館の機関誌MAINS'L HAULの2003 年夏秋号(No.39)で特集されていますが、英国からの移民船(a British Emigrant Ship)として活躍した時代に焦点を当ててみます。

euterpe15 June1876

上の当時の告知書は、1876年6月15日にEuterpeがニュージーランドのリトルトン(Lytlleton)を出帆する時のものです。エウテルペは、1873年から1898年の26年間にニュージーランドに合計18回の航海を行いました。目的地は、オークランド、ウエリントン、ダニーデン(Dunedin)、リトルトンの4箇所で、英国からの航海日数は、最短で100日(リトルトン向け、1876年)、最長で142日(ダニーデン向け、1894年)でした。サンディエゴ海洋博物館のWEBで、乗客リストを見ることができます。リストの補記(Note)欄をじっくり見ると、船上で亡くなった乗客名も散見されます。殆どが乳幼児ですが、奥さんが航海中に亡くなっている人もいます。このリストから物語が書けそうな感じです。下の写真の明るいState Roomの食卓を囲むことが出来たのは、ごく一部の一等船室の乗客だったのでしょう。

Star of India (7) State room

この帆船について、さらに次の記事に続けます。

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