海賊の島(Frégate Island 2011、その11 、島の歴史と私設博物館   【後編】)

Fregate Island Museum (2)

Frégate Islandの小さな私設博物館を兼ねるプランテーション・ハウスの展示物に、島で産出されたバニラとかのサンプルとか、19世紀頃(?)使われていたランプ、蓄音機とか、昔の麦藁帽子とか、昔の版画とか雑多な展示品に交じり、額縁に入れられたA4ほどのサイズの作文が置かれているのが目に止まりました。冒頭の写真の飾りケースに挟まれたところにある小さな額です。

「I was an island girl」という題名に興味を引かれます。内容を少し引用してみると、「At the age of eleven, coming to live on Fregate island was an exciting adventure(ちょうど11歳の時にこの島に移り住んだことは心躍る冒険でした)」と、素敵な文で始まります。

この作文にはMargaret Westergreenという署名以外は、日付も記載されていません。無論、作者についての解説もありません。なんとも見学者の想像力を掻き立てます。

11歳のマーガレットという名前の少女は、島の管理人であった父親、母親、兄弟(単にBrotherなので、兄か弟から判明しません)と共にFrégate Islandに移り住みました。7年前(ということはマーガレットがこの文章を書いたのは18歳の時ですね)、この島には、ホテルもマリーナも舗装された道路も、テレビさえなかったそうです。建物もプランテーション・ハウス(Old Plantation House)、ボートハウス、数棟の古い小屋(Old Chalet)、それに労働者が住む小さな家しかありません。住人は、マーガレット一家、’Commodore'の渾名(「提督」という感じでしょうか)で呼ばれていたムッシュー・ジルベルト。因みにジルベルト氏は、Treasure Diggerが職業なので宝探しをしていたのでしょう。鼠駆除担当のミスター・ジョン。それに10人程の労働者が全部の島民です。

月2回マヘ島から飛来する飛行機と、3ヶ月に1回、食糧と生活必需品を運んで来るスクーナー(!)が、マーガレット一家が外界に触れることができる限られた機会だったそうなので、本当にIsolated Island(孤立した島)の言葉とおりの場所ですね。この当時は港が整備されていなかったので、スクーナーはリーフ(サンゴ礁)の外の沖合に停泊し、2艘しかない小さなボートが往復して貨物を島に運んだそうです。

Marina from the helicopter

マーガレットが住んでいたのは、今のマリーナの辺りの砂浜に面した家でしたので、毎日ビーチでホーム・スクーリング(Home Schooling)をして、勉強の後は、サンゴ礁の海に潜るのが日課だったそうです。

上の写真は、ヘリコプターからマリーナ・ビ-チ付近を撮影したものですが、マーガレットの家は、もしかして今のヨットクラブの建物かもしれません。ヨットクラブは、白く塗られた木造家屋で、これも見事なハードウッドのフローリングです。今は、リゾートのプール・バーになっていますが、クレオール・スタイルの魅力的な建物です。

Yacht Club House

動物が好きだったマーガレットは、島に自分の動物園を作ります。子ガメ、ギニーピッグ(guinea pigs)、傷ついた鳥、更に、ヤモリ、トカゲ、ヘビもいます。牛も島で生まれた子牛もマーガレットのペットです。ペットだけではありません、マーガレットは、家の前のビーチで孵化したウミガメの赤ちゃんを海水で満たした生簀で成長するまで育てて海に放すこともしていました。

この作文は、マーガレットの一番大きく、そして変な(Oddest)ペットだった、150歳のアルダブラゾウガメのジェームズ(James)の描写で終わっています。あるセイシェルの老人に似ている(?)ことから、マーガレットは、カメにジェームズと名付けたそうです。

今でもこの島の人気者(カメ)のジェームスは、マーガレットが名付けの親なのですね。

作文が書かれた時期は不明ですが、「Seven years ago, there was no hotel, marina,... 」と記載がありますのでマーガレットがこの文書を書いた時には、既にホテルがあったと思われます。この島のリゾ-トは1998年にオープンしていますので、文書が書かれたのは1991年頃なのでしょうか?というとマーガレットは1980年頃に生まれている?と、どんどん想像が膨らんでいきます。

from the signal mt (2)

上の写真は、ある午後のFrégate Islandの最高峰(?)のHigh Teaの光景です。この眺めの良い場所に到達するには、20分程のトレッキングが必要ですが、なんと僕達のバトラーが軽食を運び上げていてくれました。心地よい風に吹かれて、お茶を頂きながら見事なパノラマ堪能していると、眼下にマリーナと(マーガレット一家が住んでいたと勝手に想像する)ヨット・クラブの建物が見えました。

From the High Tea

思った以上に長い連載になってしまいましたが、この辺でFrégate Islandの記事は終わりにしたいと思います。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

海賊の島(Frégate Island 2011、その10 、島の歴史と私設博物館   【前編】)

Plantation House (1)

記録に残るFrégate Islandの歴史は非常にシンプルです。

フランスの探検家Lazare Picault(ラザーレ・ピコ)が1744年にこの島に上陸。その際に、Frigate Bird(グンカンドリ)が数多く島に生息していたことから、Île de Frégateと名付けたそうです。ラザーレ・ピコによるセイシャル諸島の探検は、Ile de France(フランス島、現在のモーリシャス島)の当時の総督Bertrand-François Mahé de La Bourdonnaisの指示によるものでした。

冒頭の写真はFrégate Islandの小さな私設博物館で、プランテーションの管理人の家だった建物でプランテーション・ハウスと呼ばれています。Frégate Island滞在の最後の夜は、この歴史的なプランテーション・ハウスでクレオール料理を頂きました。写真はストロボの光で明るく写っていますが、漆喰のような真っ暗な小道の両脇に燈された蝋燭の灯に導かれて歩いてこの魅力的な建物に到着します。完全なプライベート・ディナーで、19世紀の家に招かれたような雰囲気でした。

Seychells Map by Lazare 1744

ところで、ラザーレ・ピコは、1742年の探検の際に、L’Île d’Abondance (訳すると「豊穣の島」という感じでしょうか)と命名した島を、2年後の1744年の第2次探検の際に、フランス島の総督の名前からMahéと改名したのでした。因みに同じタイミングでラザーレ・ピコは今のセイシェル諸島をやはり同総督の名前からIles de la Bourdonnaisと命名しています。上の写真は、プランテーション・ハウスの中に掛かっていた1744年当時のラザーレ・ピコによる地図です。

さてFrégate Islandの話題に戻ります。

ラザーレ・ピコの探検の後も、Frégate Islandには定住者はおらず、記録がある最初の定住者は、1800年12月24日のボナパルト第一統領の暗殺未遂事件への関与を疑われれセイシェル諸島に追放されたジャコパン党員(!)のLouis Francois Serpholetとお付の3人の奴隷だったそうです。後日、王党派の暗殺計画であることが判明するのですが、当時はジャコパン派が疑われていたのでした。但し、このジャコバン党員一行は数ヶ月Frégate Islandに滞在した後にIle de France(モーリシャス島)に移送されています。

この後、1813年に、セイシェルの最初の入植者の直系のサヴィ家(Savy Family)がFrégate Islandの所有者となりました。これ以降、現在に至るまでFrégate Islandはどの時代も常にプライベート・アイランドでした。

1850年代の島民は60名程で、主にサトウキビが栽培されるプランテーションでした。この時代には島にラム酒の蒸留所もあり、牛も飼われて、米、マンゴ、バナナも栽培されていたそうです。1880年代の後半にはココナッツの栽培が始まり、同時にバニラ、シトラス、シナモンも植えられ、バニラは主要な輸出産品でした。第二次大戦直後の1947年の島民数は合計118名で殆どがプランテーションで働く労働者でした。そして1950年代にはこの島のプランテーション型農業は放棄されます。

1970年代にドイツ人の実業家、Dr.Otto Happel(フォーブス誌の大富豪リストの常連)がこの島を購入。1990年代の中ごろからリゾート施設の建設が開始され、1998年にFrégate Island Privateとして一般の人も訪れることが出来るようになったのでした(宿泊客だけですが)。

Museum (1)

冒頭のプランテーション・ハウスの中は上のような感じです。入り口から向って正面の壁に掛かっているおもちゃみたいな帆船の船首像みたいな彫刻が少し頂けませんが、それ以外の展示物は中々興味を惹かれます。玉石混合という感じでしょうか。

特に見ごたえがあるのは、この島で見つかった海賊達の遺物です。下の写真はAnse Parcとかで発掘された品々だそうです。十字架、鋏、装飾品とか雑多な品々ですが、18世紀の海賊達の生活を彷彿させます。

Pirate Goods

続けて、この時代に持ち込まれたと思われる、陶磁器の破片も見つかっています。海賊達が各国の東インド会社を襲ったときに奪った陶磁器の名残でしょうか。

Museum (発掘された陶磁器)

Frégate Island に関する記事はこれで最後にしようと思っていましたが、未だ書き足りないところがありますので、次の後編に繋げます。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

海賊の島(Frégate Island 2011、その9、リゾートについて)

Fregate Villa (1)

Frégate Islandは前に記したように、ドイツ人の実業家が所有しているプライベート・アイランドです。

この島は、隠れ家的な豪華リゾートとかと比喩されることが多いのですが、この「豪華さ」は一般的なイメージとちょっと方向性が違うような感じがします。多分、2010年の年次報告書に一番特徴が出ていると思いますが、このリゾートの特色として、「自然環境の保全(Conservation of its natural environment)」が尤もしっくり来る説明だと思います。

Seychells Magpie Robin

絶海の孤島群であるセイシェルには植物、動物に特有の固有種が多く、その中でもFrégate Islandは、種の保全と回復に大変な力を入れているそうです。10名以上の動植物の自然生態学研究者が島に常駐していて、固有種の植林プロジェクト(80,000本の植林により、元来の80%のレベルまで回復)、固有種の鳥類の保全プロジェクト(上の写真はセーシェルシキチョウです。Seychelles Magpie Robinsは1995年時点でこの島の22羽以外は絶滅したそうですが、現在90羽程に回復しているそうです)、先の記事で記載したアルダブラゾウガメ(Aldabra Giant Tortoise)の繁殖プロジェクトとかを進めています。

因みにSeychelles Magpie Robinsの以前の天敵は飼い猫だったそうですが、Frégate Islandでは猫も犬も見かけませんでした。同じように生態系を崩す外来種のネズミも徹底的に駆除して、今でも他の島から来る貨物を厳重に検査し、水際で食い止めるようにしているそうです。

今回は、滞在時間も限られていたので、自然生態学研究者による絶滅寸前種の観察ガイドは頼みませんでしたが、次に訪れる機会があれば是非詳しい説明を聞いてみたいと思います。

Fregate Villa (2) night

Frégate Islandを訪れることにより、地球上に残された数少ない自然の楽園の保全に協賛しているとは言い過ぎかもしれませんが、自然の恵みに満ちたこの島に滞在していると、なにか本物の贅沢が少しだけ判るような気がしました。もちろん、島に点在する16箇所のVillaも、写真のようにダイニングルームを挟み、ベットルームとリビングルームがあり、各Villa毎にプール、屋外ジャグジー、東屋、更に展望が良いTea Houseと余裕がある造りですが、決して豪奢な雰囲気ではなく、見事なハードウッド材を生かした藁葺きの建物が自然と調和しています。

Fregate Villa (4) from the entrance

Villaの入り口には鍵もありません。観音開きの木のドアを開くと、ダイニングの先に真っ青な海が見えます。

Fregate Villa (5) tea house

離れのTea Houseは、断崖絶壁の地形を生かして少し階段を下りたところにあります。ここは本当にプライベートな場所です。世の中の喧騒から見事に遮断された世界です。ここでお茶を飲みながら(僕はコーヒーを好むのですが、何故かここでは紅茶が飲みたくなるのです)海を眺め潮騒を聞いていると、浮世の様々な問題は結局、些細なことのような気がして来ました。

Fregate Villa (3) from tea house

このPrivate Tea Houseから見るセイシェルの夕陽もGrand Anseに負けず劣らず見事でした。又、光害がないので、夜は降るような星空を久しぶりに堪能できました。

次はこの島の最後の記事にします。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

海賊の島(Frégate Island 2011、その8、海ガメと陸ガメ)

Under the Water (1) Tartle

ある朝、Frégate Islandのハーバーのボートをチャーターしてフランス人のダイビング・インストラクターのガイドで島の周辺にあるシュノーケリング・スポットを訪れました。

Dive from the Fregate Boat

子供達はモルディブを訪れた2003年末に比べると大きく成長しており、インストラクターについてどんどん海の底に向っていきます。防水カメラを片手についていくと、早速、ウミガメが悠々と泳いでいる姿が視界に入りました。なんと美しい姿なのでしょう。手が届くようなところまで近づいてきました。ウミガメが海中で泳ぐ素晴らしい光景を見て、そして夜は孵化したばかりのウミガメの赤ちゃんを海に放すことを手伝って子供達も大満足でした。

Under the Water (2) Tartle

さて、次はリクガメです。オーブリー・シリーズのファンであれば、サープラス号がインド洋に浮かぶ無人島に寄航したときに発見した新種のリクガメ、テストゥード・オーブリィ(Testudo Aubreii)を想像されるのではないでしょうか。この無人島の場所は、Geoff Huntの絵画と複製画を販売している英国のArt Marine 社がスポンサーになっている、オーブリー・シリーズの航路のマッピング・プロジェクトで確認することが出来ます。この島は実存するイギリス領インド洋地域(British Indian Ocean Territory-BIOT)のチャゴス諸島にあるネルソン島(Nelson Island)がモデルだと思われます。長さ1.5km、幅は僅か200m程度のネルソン島は今も無人島です。余談ですが、チャゴス諸島には18世紀から人が住んでいたそうですが、この群島の最大のディエゴガルシア島(Diego Garcia Island)は1966年から50年の契約で英国から米国に貸与され、現在に至るまでインド洋の米軍の重要拠点となっているそうです。この貸与契約の為に定住していた住民が1973年頃に掛けてセイシャル、モーリシャスに移住させられた歴史が残っています。脱線しすぎましたので話題を元に戻します。

ゾウガメ(1)

Frégate Islandに生息するのは、アルダブラゾウガメ(Aldabra giant tortoise)で、一番長寿のカメは160歳以上だそうです。ということは、1850年代の生まれですね。1850年代というと、1854年のクリミア戦争、そして、英国東インド会社解散の直接の要因になったインド大反乱が思い浮かびます。日本でいえば、ペリー提督の黒船来航が1853年ですね。と考えると、この大きなリクガメを見る目が変わります。公式記録としては確認されていないそうですが、一説には255年も生きたセイシェルのリクガメがいるそうです。

ゾウガメ(2)


決闘で傷つき衰弱したマチュリンは、テストゥード・オーブリィの目で癒され、そしてジャックの献身的な看護で回復に向うのですが、アルダブラゾウガメの顔を近くで見るとちょっと怖い感じがしました。

Frégate Islandの記事を続けます。次はこのリゾートについて触れた後に、私設博物館を見ていきます。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行

海賊の島(Frégate Island 2011、その7、Marina Beach )

Marina Beach

さて、フリゲート島での楽しみは色々ありますが、僕達はシュノーケリングの道具を滞在中借りていました。Marine Beach(何故か、ここだけビーチと名前が付けられている)は、マリーナとヨットクラブの近くにあり、サンゴ礁に囲まれた遠浅のビーチです。

上の写真は子供達がカヤックで遊んでいる光景です。カヤックの底が透明になっており、魚が良く見えますので、カヤックを漕いでいるより、止まっている方が多い感じでした。

Marina Beach fishes

マリーナには、小型のカタマラン型のヨットがありましたので、インストラクターと共にHobie Catに乗り込むことにしました。その日は、ごく微風の風で、ちょっと帆走するには風が足りない感じでしたが快適に出航しました。

Hobby Cat

乗組員は、インストラクターと僕と長男の3名。長男は船首で見張りに付き、ラダーとメインセイルは僕が操舵して、インストラクターがジブを調整しながらタッキングのタイミングを計ります。下はMarina Beachから家族が撮影してくれた写真です。この時は僕はジブ・シートの調整中です。

Sailing (1)

さて、島に近づくと風落ちしてしまうので、操船余地がたっぷり取れるように沖合いに向います(海洋小説みたいですね)。微風とはいえ、あっという間に島から遠ざかっていきます。

Sailing (2)

当初の計画はフリゲート島を一周することでしたが、風が安定しないので諦め、ANSE PARCにアプローチをして見ました。下の写真はHobie Catの船上からANSE PARCを撮影したものです。18世紀の海賊達もこのような光景を眺めていたのでしょうか?

Sailing (3) Anse Parc

そのうち、急速に風が落ちはじめ、舵の反応が無くなりました。島影に入りすぎたのかもしれませんが、セイルが垂れ下がり漂流を始めました。意思を失ったヨットは波間に揉まれ始め、オールも無いので困りましたが、インストラクターが無線で連絡すると、直ぐにフリゲート島のボートが近づいてきました。そして、なんとボートに曳航されて帰港するというなんとも帆船乗り(?)にとり恥ずかしい事態になってしまいました。

Sailing (4) To the port

まだまだ、フリゲート島の記事を続けます。次の記事は亀が主役です。

テーマ : 帆船紀行 - ジャンル : 旅行